デモがさかん
再稼動の週末、自分は国会まわりに何万人もの人々が集結する様子や大飯での抗議活動をツイッターやユーストリームでちらちら眺めていた。鮮やかな視覚情報が自分の世界認識に与える影響は大きい。結局のところは誰にも知りえない民意。たかだか10人の人間が集まったって、物申す言葉は10あるはず。選挙みたいに「この中から1人選んで多数決」なんていう胸糞悪い最低のやり方で民意を測れるはずない。国民国家維持する為にはそんなやり方しかないのかなーとか思うけど、選ばれた人たち、そんなことすっかり忘れて胡坐かいてるように思える。国会に何万もの人々が集まったことは、政治家が思い込む都合のいい「民意」がどれくらい現実と乖離してるかってことを直感的に知らせてくれた。
デモ行くか?っていうと躊躇する。サウンドシステム使ったやつとか、四つ打ちの曲がガンガン鳴ってて、だっせぇとか思ってしまう(うそ。大げさに言っている)。きっと原発に関して自分と近い気持ちを持つ人たちやのに、なんでそんな些細な文化的差異に着目して、自分はデモって柄じゃないわーとか思ってしまうんやろ。こういう根性良くない思う。ヒッピーもパンクスも学生もフリーターも金持ちも子持ちも、てんでバラバラで、バラバラのまま反原発の意志の下に集まるっていう、当たり前のデモの姿も、自分には馴染みが薄い。個人主義を履き違えてバラバラになって、結局権力に都合のいい捨て駒になってしまったような気がする。
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