2012年11月25日日曜日

第五回作曲家クラブ迫る

今日の18時から、毎月恒例作曲家クラブの第5回発表会がある。
前回発表されたお題は、「“へい”で始まるサビで始まる曲」だった。会長の出すお題は毎度予想がつかない。

で、今回も何とか曲を完成させた。なんだかんだで毎回提出出来ているっていうのは、(そもそも曲がちっとも出来ないからこの集いをやり始めた)自分的には世界の不思議のひとつといえる。

初っ端からアレですが、今回は失格になってしまう恐れあり。いや、確実に失格かなぁ。これまでのお題は「グラム」「ブガルー」「80'sディスコ」「ブラックバードっぽい曲」だった。これらのお題に共通するのは、全て「ジャンル」や「○○っぽさ」であり、曖昧模糊としたそれら呼称が意味する何ものかを、クラブのメンバー各々が独自に解釈し、「音」に注入して再現前させる、という試みであった。

だがしかし、今回のお題は『「“へい”(という歌詞)で始まる」「サビで始まる」曲』である。「サビ」の何たるかには解釈の余地が残されているが、“へい”に解釈の余地はない。逆に言ってしまうなら、“へい”で歌いだす曲でさえあれば、(それがサビだと主張することで)条件は簡単に満たせる。さてどうしたものか…以下、ふんとう記

元々発表会は11月11日に予定されていたが、先月末の時点で都合の付かないメンバーが出てしまって、11月25日に延期になることが決定していた。じゃあじっくり作るかというとそうはならない。これも不思議のひとつ。一乗寺での弾き語りが終わった11月上旬、ちょっと風邪で参っていたとはいえ、今回のお題に向けてギターを弾くことは出来たし、何となくギター触ってるときも頭の片隅に「へい」って文字は浮かんでいた。にもかかわらず。

うっすら感じていることを書くと、締め切りが設定されていて、さらにその締め切りが目前に迫っている時(今回なら11月19日から今日までの一週間くらい)、ようやく自分は特殊な(あるいは曲作りにおいて一般的な)状況に入っていたと言えるのではないか?と思う。今回の曲で弾いているギターリフやメロディ、コード進行や転調、実際に録り終えた今、やっぱりかっこよいと思うし、色々な閃きがあってよかった~やってよかった~と思うけど、締め切りも何もない環境でこれらの要素が断片的なアイデアとして降ってきても、自分は見過ごしてたんじゃないかと。見逃し三振でこれまでずっと「曲が出来へん出来へん」って言ってきてたんじゃないかと。そして自分は締め切り直前の、ハイでぐちゃぐちゃな生活が結構好きなんじゃないかと。

とにかく、ものづくりハイな時間に突入したのは11月19日の月曜日だった。当然“ヘイ”がなけりゃ失格間違いナシなので、頭の中で「ヘイ!」とか「へぇーぃ」とか言いながらギターを弾いていたと思う。その時書いてたアイデア帳のページを今あらためて開いててみると、、

It's My Cycle”←曲名
ジョーンジェットのブラックレザーのリフでラップ”←アイデア
“へい店長(Yes Yes Y'all) ねぇ店長(Yes Yes Y'all) ダイナモ取っ払ってよー〔ここまでマイナー/こっからメジャ-〕そしたら最高 もう最高 My Cycle It's 最高”←サビと思われる部分の歌詞

などと書いてあり脱力した。ママチャリからダイナモ取っ払ったくらいでそんなに最高かよ?自分で外せよ!ヒップホップはあまり知らない。スチャダラパーとかで聴こえてくる景気のいいあの掛け声は一体何?と思って「イエッセッショー」って検索して「Yes Yes Y'all」に辿り着くぐらい無知。そしてそれを臆面も無く使ってしまえるほど無垢。こんなことを真剣にやってたんか自分。日曜日の自分から見ても先週月曜の自分はまともじゃないぜぇと思う。悪くないぜぇ。

そんな調子の月曜日だったが、ギターを触っているうちになんだかいい具合のリフに巡り合ってしまう。ローコードのEがジャーンと鳴る、タフな感じのリフ。あぁ、こういうの好きやったなぁと思いながらしばらく繰り返し弾いていると、いかにもって感じのAメロへの展開が湧いてきた。E→Bm(D)→Aと一回やって、すぐメインリフE→D→Aに戻る。うわぁクレイジーホースみたい、最高や。まぁ「へい」の方は肝心のサビ出来てるし置いといて、と欲をかいてさらなる展開を考える。

うわ、いいのが出た。C→G→Dという、「ヘイジョー」っていう歌などに顕著な、所謂5度進行。タフな曲調にぴったりはまる。C→G→DときてAに行けば、E→D→Aのメインリフとケツが揃って気持ちE!だけども紋切り型じゃなく、歪でも変でも、自分がびっくりするような展開にしたい。欲張るなぁ。で、C→G→Dの次、ここでF#7!!!メロウネス!!!ここでDキーになる!!!これやっばい。このF#7の閃きで「It's My Cycle」を放置することが決まってしまった。タフとメロウの共存は可能か?いやー無理っぽいな、とかずーっと思っていたので、こんな感じで尻尾を掴んで幸せな気分になる。

となると、折角なのでこのまま体よくDキーの一塊に持って行きたい。この時点ではBメロはC→G→D→F#なので、Bm→Aとか気持ちいい。が、再び欲をかいてちょっと歪な展開でドタバタとサビに突っ込んでやりたいと思う。あれこれ弾いて、C G /D F# /G A# C /っていう3小節のBメロに落ち着く。歪~

ほんじゃぁサビだ、ってことで考える。ここらへんでDキーの本拠地Dがジャーンと鳴った方が気持ち良さそうなので、自ずとD始まりの展開を考える。オープンコードのDで始まってェ、Dの指のカタチを残したままベース音が下がっていってェ、という感じで。ここで単純にD→C#→Bとかやっちゃうともったいない。ので、D→C#→C→B→A#という半音下りをメロディと一緒に閃く。

続きをどうしよう。グラムロックが好きになって以来、アイデア一発勝負の、ややこしいコードを使わない、理論に裏打ちされていない転調が大好きで、いつか自分でもやってみたいと常々思っていた。一発目の転調(この曲だとEキー→Dキー)はちょくちょく思いついても、転調先のキーから元のキーに戻る術が見つからず、結局完成しないパターンが多い。今回も嫌な予感がした。しかもE→Dの(D→Eの)転調なんて多分聞いたことない。聴きもらしはあると思うけど。

解説の途中ですが18時にバイト終わり次第発表会へ直行するので、そろそろサウンドクラウドにプライベートで上げておいた音源をパブリックに変更したりリンク貼ったりせないかんので終わります。続きもちゃんと書こう。

とりあえず曲、投下完了!

――翌日――

さて発表会も終わり月曜日、朝から雨降り。雨乞いの効果テキメン
昨日途中でぶった切ってしまったので続きを。

この曲の構成を端的にまとめると、、

【A】
 E       Bm     /A              /E      D   A  /E      D   A   /
【B】
 C       G       /D     F#7    /G     A#  C /
【C】
 D       A       /C      G      /A#    E7     /
 A      F#7     /Bm   A7     /E          

という感じ。コードの名前がわからないのでシンプルに書いてるけど、このまま弾いてもちゃんと歌えるはず。目出度くDキーからEキーに戻ってこれた。どうでもええ人にはほんまにどうでもええことやけど、すんごく嬉しいです。

それでは録音編へ

2012年11月5日月曜日

ママチャリ改造(パート2)

今年4月、ガッタガタになっていた我がママチャリのボトムブラケット(BB)部分の左ワンだけバラして掃除して、しかしその日はどうにも右ワンが外せず、「近々うまいこと右ワンも外して、BB徹底掃除せなあかんな~」と思ってから半年が経ちました。そしてその半年間も主たる移動手段として毎日乗り続けておりました。ごめんなさいママチャリ…慣れてしまって案外乗れたよ。

で、このたびバイト先のメンバーで宇治あたりまで秋のサイクリングに出掛けることとなり、皆がスイスイ走る横でギーコギーコ鳴らしてたら流石にマズいマズ過ぎると思い、いよいよBB部分の完全分解を決意した次第。

ちなみにボトムブラケットにまつわる私の理解は
自転車直そうぜ の下のほうに書いてある程度で、
本文中で「前回、前回」と言っているのはコレのこと
ママチャリ改造(パート1) です。

以前の日記を見ての通り、前回、左ワン外しの時点で専用工具など無く、あり合わせの工具で無理矢理外したのだった。おまけに今回はチェーンカバーに覆われた右ワンも外す。

【まずはコッターピン抜き】
古いママチャリなので、クランクとシャフトの固定にはコッターピンが使われている。余談ですが避暑地軽井沢で乗ったサイクルモノレールもコッタードクランクでした。
軽井沢のサイクルモノレール
前回、左クランク(~左ワン)取り外しの際に相当苦労すると思われたコッターピン抜き、下調べの段階でバッチリの方法が見つかったので、そこまで苦労せずに外れたのだった。コッターピンよりも一回り大きい円柱をコッターピンの頭に被せてやって、万力で締め上げるという方法。今回もそれに倣って外した。思いついた人、偉大やわ。
この様な円柱と万力を使うやり方


【次に右ロックリング外し~右ワン外し】
ロックリング外しの専用工具(フックレンチ)はあるのだが、チェーンカバー(下写真、赤/黒の金属カバー)と干渉してしまい、どうしたって斜めにしか入らない、つまり使えない。
ちなみにチェーンカバーは右ロックリングで固定されている。チェーンカバー外す為に右ロックリング外す為にチェーンカバーが邪魔やないか!なんちゅう入れ子構造や!
とりあえずノミのような物をロックリングの凹部分に引っ掛けて、金槌でチョイチョイ叩く。右ワンは逆ネジってよく聞くけど、右ロックリングはどうなんやろ?と思っていたが、どうやら右ロックリングも逆ネジだった。
この向きで叩くと締まって行ったので、右ロックリングも逆ネジだったみたい
力加減の難しさに気が滅入りそうになりながら、何とか右ロックリングが外れた。
いよいよ右ワン外し。この凹部分にハマる工具が無いのは承知の助なので、再びノミのような物でチョイチョイ叩く。右ワンは間違いなく逆ネジやろ~、と時計回り方向に叩くもめちゃくちゃ固い。
右ワン凹部(奥のやつ)
最終的にクレ556を噴射しながらガンガンどついてようやく外れる。
汚い!あんこかうんこか付いてる!古くなったグリスに錆びやらホコリが付着してこうなってるんやろうけど、中からポロっと鹿の糞サイズのものが出てきて戦慄した。
ヌチャァ
しかし右ワンが外せてひと安心。戦慄と安堵。後は前回と同じやり方で左クランク~左ロックリング、左ワンを外せば、BB部分完全分解となる。

【遂にBB外れる】
外れた。とにかく汚い。4月に行った左ワンのみの分解洗浄~ベアリング交換以来、左ワンだけてシャフトを支え続けてきたはずなので多分ダメージも相当なもの。ていうか8年前に中古で買って以来全く手付かずだったことも踏まえると、相当タフなやつだと言えよう。分解されたBBを眺めながらちょっとセンチメンタルな気分になった。

かっこいい
ほんまはBB自体を交換したいとも思うけど、サイズも測ってないし、コッタードクランクに若干の愛着まで出てきてしまっているので、出来る限り綺麗にして再装着することにする。

【再装着】
バイトの時間が迫ってきたので、ここから写真を撮っていない。左右のワンにグリスを盛ってベアリングを敷き詰め、シャフトを通して車体のBB受けに装着。この際ポイントとなるのが球当たりの感触だった。右ワンは固定とのことなので、締まるとこまで締めてしまってから、左ワンの締め具合で球当たりを調整する。前回同様、左ロックリングを締める際の左ワンの共回りも考慮に入れて締めていく。シャフトを指でクルクル回してみて、ガタつかず、かつスムーズでヌルヌルな感触になればオッケイかと。で、コッターピンを打ち付けて完了!あ、チェーン引き(いや限界まで伸びてるので交換か)までは出来なかった。

試乗の時間も無くなってしまいそのままバイトに行ったのだが、ひと漕ぎ目からめっちゃくちゃスムーズだった。こりゃたまらん。スイー、スイー(無音)。今回、3時間あればなんとかなるって事がわかったので、これからもしょっちゅうバラせばいいと思う。

2012年11月4日日曜日

バンドやろうぜ

昨日は龍谷の学祭へ無料ライブを観に行ってきた。出演は曽我部恵一バンドとN'夙川ボーイズ。あ、先週日曜の喫茶のんライブの日記書いてないのに…

起きたら15時。龍谷(深草)遠いし、開場が17時とはいえ整理券とやらは朝から配ってるらしいし、あ~どうしよ、今から行ってマトモに観れるか?帰りも寒いで、とか思ってしまう。そうそうついこの前はボロフェスタのメトロでやってたオールナイトのやつ、田我流とかシャムキャッツめっちゃ観たかったのに、自宅でのウダウダした気分に負けて行けなかった。こういうのが歳を取るってことやと、老け込むってことやと思った。このまま死にたくない、のでチャリにまたがる。案の定ペダルをこぎ出すとすぐに気分が晴れる。あ~出てきてよかった。

なぜか40分足らずで深草キャンパスに到着。会場の中央常設ステージまわりはえらい人だかり。整理券持ってる人から順番に会場内に入っていく。多分1000人弱は居たんちゃうか。自分は手ぶらなので一番最後に入る。ブロックとかに分かれてるワケではないので、そこそこ前の方まで行けた。

1バンド目は夙川ボーイズ。
ファースト(「キャンディーピープル」入ってるやつ)とセカンド(「物語はちと?不安定」入ってるやつ)までしか知らんけど、キンブラ仕込みのガレージ感性で80'sっぽいチカチカした曲をやってて、初めて聴いたとき(「物語はちと?不安定」のPV観たとき)うっわーと思った。なので今回の曽我部恵一バンドとの組み合わせは嬉しい。

その後メジャーから2枚くらい出てるし、知らん曲が多かったけど、学祭セットリストなのか?めちゃくちゃキャッチーな曲が多くて良かった。コーラス掛かったギターの音なんかも自分にとっちゃ新鮮で気持ちよかった。映画にも使われて代表曲な感のある「物語はちと?不安定」がセットリストの一番最後。ギターソロの部分でシンノスケ氏が照明吊ってる単管に上ってソロを弾いたり、マーヤが開場をぐるっと囲む円形屋根の上を一周走って回ったり、学祭ならではって感じのライブを久々に観て嬉しくなってしまった。
思わずパチリだよ。単管に登るシンノスケボーイ氏

2バンド目は曽我部恵一バンド
ファースト、セカンドの感じがあまり馴染まなかったけど、この春出たサードがめちゃくちゃ最高でライブ観たいなーと思っていたところだった。夙川ボーイズが終わって照明が落ちて、暗がりのステージ上でバンドメンバー自らドラムセットやアンプのセッティングをしている。かっこいい。何年か前に心斎橋で観た時、二人のギタリストはフェンダー系のツイードのコンボアンプを使ってたように記憶してるけど、今回のギターアンプは全くの謎。キャビは恐らくロゴを剥がしたマーシャルのやつかな?と予想出来たものの、ヘッドがすごい。ラックサイズで前面は真っ白なパネル、その真ん中に黒いボリュームツマミが一個ついてるだけ、というアンプ。しかも二人とも。一体何なんやろ、どっかのオーダーメイドかな??とか思っていたら1234ジャカジャーン!と曲が始まった。痺れてオシッコちびりかけた。イレギュラーな会場やのにマイクチェック等の外音・モニター音を一切出さず、暗がりからいきなりカウントいきなり一曲目。めちゃくちゃかっこよかった。同日同時刻の精華のスチャダラパーと迷ってたけど、エレキギターの音が聴きたくてこっち来てよかったと思った。

こちらも学祭セットリストで新作からは2曲だけ。そのぶん新旧のキラーチューン満載で、すっかり忘れてた「永い夜」って曲とか「青春狂走曲」とか、不意打ちに演奏されたようで熱くなった。やっぱバンドはいいなぁ、とつくづく思った。

深草からの帰り道、熱い気分のまま何かCDレコード欲しい、熱いのをくれ!と、(20時回ってたので)タワレコに行く。何故かヒッポップ買ってしまったけど、これもバリヤバイ~

2012年10月29日月曜日

ろーど・とぅ・いちじょーじ

ドタバタの一週間が終わった。その締めくくりが昨日の一乗寺喫茶「のん」での弾き語りライブだったわけやけど、ライブ一本やるのに何故こんなにもドタバタしたかというと…

小さな喫茶店での弾き語りライブ、全部で3組の出演者も近しい人たちばかりってことで、リーさんに誘ってもらった時から「1曲でも何か一緒に演れたらいいな~」とか思ってて、しかしなかなか妙案浮かばぬままライブまで1週間を切ってしまっていた。自分の歌を精一杯歌えればそれでよいか~、とも思えたので、特に落胆するでもなく。

で、先週の月曜日、閃き(いや閃き未満の心の機微)があって、ちょっと「あッ」となる。武蔵野タンポポ団という大好きなバンドに「サンフランシスコ湾ブルース」という大好きな曲があり、そこで歌われる「一緒に歩こよ吉祥寺の町を」 という一節を「一緒に歩こよ一乗寺の町を」に替え歌したらオモロいな~(一乗寺の喫茶店で歌えたら最高やないか…)という思いつき。


で、火曜日にフィルムカメラのデート用電池交換なんかでブログ更新してることからも窺えるように、火曜日のお昼くらいまでは「まだ絵にも描いてない餅」のようなものだった。が、その後もう一度ユーチューブ見て久々にサンフランシスコ湾ブルースを聴くにつれタンポポ団が醸し出すジャグバンド感が最高に思え、「こりゃーやらなあかん」と決意。そしてもし叶うならブルースマナーな「女が出て行っちまう歌」から歌詞を変えて、身の丈にあった歌に直したいと思った(罰当たり!)。ほんで歌詞も出来上がってないのに勢いだけでリーさんに電話、金曜日のお昼にどっかで軽く音合わせしよか~、と快諾してくれる。これで弾みがついた。えいえいえい、歌詞を考える。同一メロディの違う曲になってしまっても面白くないので、歌い出しとか要所要所でタンポポ団のオリジナルの歌詞や押韻を踏襲しつつ、「町を出て行ってしまった友達の歌」にする。無邪気に再会を望める友達というよりかは、一緒におるだけでヒリついてしんどかったりして、離れてちょっとホッとするような、でも忘れられへん友達の歌。「おらが町、一乗寺」じゃないからこそ、たまに行くと思い出すんですなー。

【録音ふんとう記】
そして水曜日、曲が完成したら何としてでもCDにして一乗寺に持って行きたいなどと思い始める。今思うとだいぶ舞い上がっている。ものづくりハイ?バイト中もそればっかり。で、何行かだけ歌詞を残し、深夜2時、バイトから帰宅後録音を始める。「第三の男」のテーマ(エビスビールのオリジナルCMソングだと思ってたわ)を間奏に挿入するアイデアが浮かんだり、オーバー入力してしまったギターソロが偶然イイ音で録れたり、ものづくりハイな時間が続く。

そのまま木曜日の昼になりバイトに15分遅刻してしまう(これだけはやったらアカン)。なんとか20時までバイトして、そのあと21時からスタジオ。もう一人の共演者松ちゃんと音合わせする。ここではまだ「一乗寺」合わせられず、松ちゃんが当日の演目に入れる予定のカバー曲を練習した。

金曜日は丸一日休み。でもちゃんと起きる。CDに「一乗寺」1曲だけだと味気ないかな?と思ったので、前回の作曲家クラブに出品した「あくる朝」との2曲入りにしようと決意。朝イチから「あくる朝」の手直し、具体的にはマンドリンを新たに加えて、靴音のトラック消してミックスやり直した。
昼過ぎ、「一乗寺」音合わせを口実にリーさんと鴨川で落ち合い、夕方までベンチに座ってギターを弾いたり歌ったり喋ったりして遊んだ。ええ昼下がり。

その後、河原町今出川のスタジオスーに駆け込み、その場で個人練を取ってCDに入れる2曲の歌を録音。スタジオ一部屋借り切っときながらMTRに向かってセコセコ歌うのには毎度躊躇する。しかも今回はライブにも使われてるデラックススタジオやった。17時半から借りて、なんとか19時までに終わらせる。1時間半だけ借りられるっていいなと思った。

で、そこから出町柳の駅前駐輪場にチャリ止めて叡電に乗り込む。「一乗寺」のSEに叡電の車内アナウンスとか踏み切りの音を入れようと閃いてしまっていたのだ。鞍馬行きに乗った一回目の録音は失敗、しかも叡電はワンマン運行なので電車を降りる度に運賃持ってかれる!おれこんな時間になんで宝ヶ池駅にいるん?とか思いながらもう一度出町柳行きに乗り込んで録音。おまけに車内アナウンスはノイズが多すぎて結局使えなかった。一乗寺の踏切待ちの音を使うことにする。

帰宅後、MTRに録音した歌声をDAWに流し込んでミックス。ここらへんでイッチョ試しにCD-Rに焼いてみよー、と、用意していた8cm(昔のシングルCDの大きさ)のCD-Rをパソコンが認識しない。筋入り茶封筒に8cmのCD入れてジャケットにするというアイデアが一瞬にしておじゃんになる。だがへこたれない。CD-Rは一般的な12cmのものを使って、A4用紙1枚からええ感じにジャケットを作ることにする。

かおるさんにお願いして、一乗寺踏切の風景と、自分の似顔絵を描いてもらう。ちょっと笑える感じの、でもふざけてるワケじゃない感じの絵が出来上がっていた。このバランスがめっちゃ絶妙。どうでしょう??スキャナーで取り込んでウィンドウズのペイントとかGIMPでトリミング、なんちゅうやり方やねんとツッコミながらOpenOfficeのエクセル的なやつに貼り付けいく。オールフリーソフツ!封筒ジャケだったら、ジャケ(封筒)以外に歌詞カードもデザインせんとあかんけど、A4用紙1枚をジャケにするので、裏面を歌詞カードにすればいい。翌日昼勤なので歌詞カードは未着手で寝る。

土曜日、18時までバイト。ライブに向けて最後の個人練習を19時から予約してるが一旦烏丸高辻の文具店へ。A4用紙1枚で作成するジャケット、A4用紙を単に折ってるだけなので、何らかのカタチで封をしないことにはバラけてしまう。そこで閃いたのが「玉ひも」というやつ。自分も名前を知らんかったけど、封筒なんかで、紐を玉にクルクルっと巻きつけて封するやつ、あれ、あの部分だけ。昼間思いついて市内あちこちの事務用品・文具店に電話したら、一軒だけ、TAG本店に在庫があった。ラッキー!しかし在庫数は2パック(4組×2)のみ。で、バイト終わって行ってみたらレジのお姉さんが「半年以上取り置きしてる在庫があるのでよかったらどうぞ」って、なんてラッキーなんや。

19時から西院で個人練習。21時からは松ちゃんとも合流して、「一乗寺」含めた合奏レパートリーの練習を1時間。こらいけるで~、と帰宅。録音のミックスの仕上げと歌詞カード作り。何に時間が掛かったとか、そもそも何をしてたのかとか、あんまり記憶にない。北陸から取寄せたA4わら半紙をプリンターに突っ込み、壊れないかヒヤヒヤしながらジャケットを刷った。とにかく、朝6時に全部終わる。アイデアが浮かんで歌詞を作り始めてから5日、やれば出来るらしい。ふー。

ええ感じのイラスト。印鑑も効いてるわァ


そしていよいよライブへ。書きたいこと山ほどあるが、今朝より見事なタイミングで風邪を引き始めてしまって、今日はこれ以上パソコン見るのやめとこう…。喫茶のんも、無事降り止んだ雨も、みんなのライブも自分の演奏も、お客さんとの会話も、打ち上げで食べた焼肉も、総じてすばらしい一日でした。

2012年10月23日火曜日

コニカC35デート電池交換

ちょっと前に実家の仏壇まわりを掃除してたらひょっこり出てきたいかすやつ、コニカC35MFD。



あれからフィルム2本分を撮ってみて、仕上がったプリントを見る限り、絞りもシャッタースピードもピントもストロボも、素人目には大丈夫そうに思えた。ただ基本的に(フォーカスロックを使わなければ)ピントは中央の一点のみに合うようになっているので、そのことを忘れて被写体を端っこに寄せて撮ったりすると、背景ばかりにピントが合ってしまって、失敗写真が出来上がる。要するに「イモっぽい構図(日の丸構図)で撮ってよ~」という、カメラからの要請。イイネ

で、そんな愛らしさをさらに加速させるオートデート機能(写真の右下に 86 10 23 とか印字する例のアレ)があって、その電源となるボタン電池が切れたままだったのだ。通販で注文したCR2320が今朝届いたので、早速交換したいと思います。
デート用電池が切れてる状態
用意したのはCR2320ひとつと、ほそーいプラスドライバー。
もうパナソニックも作ってないから輸入品
百均メイドの精密ドライバー
ネットでの下調べによると、裏蓋内部の7本のネジと、裏蓋外側デート設定カバー内部の隠しネジ1本のネジ、計8本のネジを外してやると、ようやくボタン電池に辿り着けるそうな。まずは裏蓋内側の7本のネジを外しにかかる。

いかにも繊細といった感じで畏れ多い
これと同じネジが7本ある
ちっちゃいので紛失注意
次、そのまま裏蓋閉めて、今度はデート設定カバーの隠しネジへ。このカバー、普通に外れるやろ~とタカをくくってると全然外れなくて不安になる。ネット上を彷徨ってようやくコツを発見できた。写真にあるように、カバーの中ほどをドライバーなどで軽く持ち上げながら引き抜くと外れてくれる。そして隠しネジあらわる。うわ~ワクワクした。
手でやっても全然外れないカバー 
これで外れる。凝りすぎじゃないか
隠しネジあらわるの巻

で、隠しネジを外すと、パカっと裏蓋の裏蓋が外れる。おるおる、ボタン電池おる!
液漏れとかなくてよかった
BR2320→CR2320、サイズもぴったり

で、新しい電池を入れると、早速表示窓に日付が出た。嬉しい。今日は1980年の12月1日。

液晶もキレイに表示されてる

配線とか基板とかコワイので、先ほどまでの手順を逆に、早々に蓋を戻す。で、デート設定ボタンをドライバーの先っちょで優しく押していくと、みるみる時は流れ2012年10月23日になりました。98年の設定とかで写真撮るのぜったい流行るわ~



P.S.
作業を終え、元々入っていたボタン電池をまじまじと眺めてみたところ、CR2025と書いてある。ああん??本来BR2032じゃなかったか。3Vで大きささえ合えばどんなボタン電池でもいけるってことかな。CR2025でいけるなら通販せんでよかったわ!
ん?



2012年10月19日金曜日

丸太町と今出川

7月の三条会七夕祭りとウーララ以来、久々に人前で歌う。大勢の人の前でギターを弾いた後であれ、けっきょく人前で歌うのは緊張する。まずは告知を!

リーさんが作ってくれたビラ。手描き最高

“丸太町×今出川”
10月28日(日) 15時から
於:京都市左京区一乗寺 喫茶のん
1000円

個人的に喫茶のんで歌うのは感慨深い。叡電の一乗寺駅前を東西に走る曼殊院通り沿いにあるので、同じく曼殊院通りにある恵文社や萩書房へ行った帰りなんかによく寄っていた。のんで知り合ったお客さんのライブをのんに観に行ったり、マンドリン同好会というイベントで弾き方を教わったり、ちょくちょく遊びに行っていた。店のおばちゃんおっちゃんもえらい気さくな人で、当時歌うなんてありえなかった(かつバンドもなかった)自分に、「あんたはよ歌いーな」とか色々言ってくれて、まぁ会話のひとコマやけども、「あぁいつか自分の声で歌いたい」と思ったことを今でもこうして覚えている。それからは行こうかなと思って通りかかるとタイミング悪く閉まってたり、一乗寺方面に行くことが少なくなってしまったり、なんだかんだ2~3年行っていなかった。おばちゃんおっちゃんは自分のこと覚えてないと思うけど、やっとの思いでのんで歌えるので楽しみ。リーさんありがとうございます。レペゼン丸太町リーさんと元今出川ズの二人が一乗寺の喫茶店で出会うのです。

自分は今回もエレキの弾き語りで、歌声は多分マイク通さないので色々と考える。この前の日曜日に西院ストラクチャーで観た片っ端(リーさん中西彦介さんの二人組)の演奏ではリーさんがピグノーズ直で相当かっこいい音を出してた。が、もしかしたらエレキギター1本だけの弾き語りのバッキングにピグノーズは歪み過ぎるかも。なんかいいやり方ないやろか。どっちにせよ、ハキハキと大きな声で歌わんと。

2012年10月8日月曜日

第四回作曲家クラブ

なんだかんだで今回もメンバー全員ちゃんと作ってきた。すごい。

前回の日記のそれから、を。

金曜日
昼勤あがりにスタジオへ。個人練が取れたのが20時~21時だったので、直前まで西院の喫茶フロントで歌詞を考える。歌詞を考える楽しみっていうと、譜割りにぴたッとはまる歌詞が思い浮かぶことももちろんやけど、ふと浮かんだ言葉ひとことに引っぱられて、退屈してた物語の展開とか結末だとかが一気に別の地平に開ける瞬間があって、その瞬間は周りの景色が霞んでしまうほどだったりする。その言葉だけを取り出したら別になんてことないひとことやけど、さっきまで作ってた文脈に放り込むと一気に化学変化を起こして別のものになってしまう様な、言葉のすごいところ。もちろん歌詞に掛ける時間の大半は「絶対出来へんやん」っていうしんどい時間の方が多いけど、それでもそういう瞬間が来て光が差して、そしてその後はまた「つづき絶対出来へんやん」っていうしんどい時間が。一生遊べるんちゃうか。とりあえず、スタジオまでの喫茶店で曖昧ながら歌の方向が「朝」っぽい感じに定まる。

京都最安?スタジオ、西院ビルボードにて。それまでに浮かんでたギターの進行を弾いてみて、実際に歌声を出しながら展開などを考える。一時間しかないので醜声にひるまず歌う。そろそろGキーから離れたいとか思いつつ、やっぱりGは歌いやすいし、おまけにお題のブラックバードもGなので、やっぱGでいいやと思う。スタジオ帰り、まだ全然曲が完成してへんのに西院折鶴会館の立ち飲み屋さん「才」へ行ってしまい、ほろ酔う。そして帰宅後結構すぐに寝てしまう。アホかよ。

土曜日
まずはバイト。バイトあがりの18時の時点でまだ歌詞が完成していない。歌詞が全部ないことには全体の細かい部分が決められないので録音が開始できない。まいった。アパートでぼそぼそ歌っても何言うてるかよくわからんので、前々回から発表会前日にスタジオ行って歌を録る方式にしてて、今回もそのつもりだった。バッキングトラックを流し込んだMTRをスタジオに持っていって歌を録音するので、少なくとも前日夜の時点でイントロからアウトロまでの連続したトラックが必要になる。が、考えてるうちに夜中になって雨まで降ってきやがって、結局夜のうちにスタジオ行くのは諦め、発表会当日13時の集合時間までに全部の楽器と歌を自宅で録音することにした。今回はテーマがブラックバードなので、1本のアコギがあれば十分とも思えたし。じたばたせずに歌詞だけを考える。一行だけ悩ましい部分を残して大体できた気がしたので、ずばり「朝」という曲が入ってるサニーデイサービスの4枚目を聴いて寝る。いつ聴いても最高やなぁ。ちなみに「bye bye blackbird」という曲も入っている。

日曜日
8時起床。アコギの録音から。アコギというか、リゾネーターギターを使ってます。これしか持ってない。ギターのフレーズは数日前から出来てて、歌詞考える際もしょっちゅう弾いてたので難なく録れた。アコギはマイキングが要とよく言われるけど、あちこち試す時間はないので、ひとまず入門書通り、12~14フレットの前あたりからボディ方向へ、若干下向きのオンマイクで録音。

ブラックバードといえば革靴の音かな?とユーチューブ見て思ったので、冠婚葬祭用に買った国産チェルシーブーツ(パチもん)を履いてアパートの床を鳴らす。階下の住人に悪いのでトントントンくらいにしか鳴らせない。録れた音もいまひとつな感じだった。

間奏部分が寂しい。ポールが弾いてるアレ級の必殺アルペジオリフならそれだけで間奏を持たせられるけど、自分のじゃ無理やと気付き、バンジョーを入れる。いつまでたっても弾けないバンジョーをピックで弾く。少し英トラッドを意識、というか後半のフレーズは持ってるレコードのどれかで確実に聴いたことある。

いよいよ歌。布団(イケア製あたたかさレベル5の掛け布団)にくるまって真っ暗の中ハンドマイクで歌う。 普段GキーでD音とか歌うとき、張った声で歌う以外の技量がないけど、アパートで歌うやましさもあったのか、息が抜けたような変な声だった。いつも通り、使えそうなのを2トラック分用意出来るまで歌う。

靴の音がイマイチだったので、奥義「タンバリンをブラシではたく」に手を染める。これはタンバリンを膝にのっけて、ドラム用のブラシでカサカサ叩いたものをオンマイク録音する手法で、この手の曲に相当使える小技。きっちり録って、必殺EQが決まればほんまにええ感じの音が出せる。今回EQのポイントが全然思い出せなかったので適当にしてしまったけど、それでもこのトラックをミュートオン/オフして聴き比べてみると相当効いてるのがわかる。

最後に、音楽作るならいつかやってみたいこと(テープ逆再生とか)ランキング50位以内に入ってた「猫の声を入れる」に着手。黒猫ベティはお腹が空くと上目遣いで鳴くのだが、それをアイホンのボイスメモに録音していたのだった。ブラックバードでも鳥の鳴き声のSEがふんだんに使われているので、ここでやらなくていつやるか、という感じ。ベティの出番は間奏明け、Cメロ後のブレイク部分で大いに美声を聴かせます。

以上、ギター/靴/歌/歌/タンバリン/猫/の全7トラック。基本はギターと歌なのでミックスもラフに終わらせる。薄々気付いてたけど、やっぱりブラックバードにはならない。それこそが和製の醍醐味で全然イイんですけど。フォークとかカントリーとかトラッド音楽をポールがああいう形で出して、それを聴いた日本の青年が再びフォークに戻してしまったような。ではどうぞ



いろいろアクシデントがあったりして、発表会もいつも以上に盛り上がった。今回みんな楽器とかトラック数自体少ないのに、それでもやっぱり三者三様。めちゃ面白い。 その後もライブに行ったり、長い長い一日だった。いま時間がないのでまた書こう。

2012年10月5日金曜日

第四回作曲家クラブ迫る

大舞台の余韻も束の間、あさっての日曜日には第4回作曲家クラブが催される。催されてしまう。
今回のお題は「ブラックバードっぽい曲」。

ユーチューブで聴いた。ええ曲や~。ホワイトアルバムに入ってるらしい。アレ?と思ってアイポッド見たらリマスター出た時にちゃっかり借りてた。



とりあえずええ曲や~っていうのと、コード遣いがややこし過ぎってのと、拍子の取り方が変わってるなぁ、というのが第一印象。では「ぽい」とは?一週間しかないなら無いなりに何とかするのが当クラブなので、「ぽさ」の抽出もファストに終わらせないといけない。

ギター持ってユーチューブを追っかけたところ、何ともええ感じのコード展開の肝は、
/G A /A# B /C C# /D D# / か ら の、Em
と、ギターのベース音が半音ずつ上がってくところ(特にEmの手前)にあると見た。はっきり見てないし耳もそんなに良くないので細かいところはどうでもいいです。つまりブラックバードは2拍ごとにベースが半音ずつ上昇してⅥmに着地するタイプのカントリーだ、という結論に至る(大暴論)。

なので、頭の部分のベース音の上昇を別のカタチでなんとかでっちあげて、最終的に
/C C# /D D# /
に辿り着けたらなと思う。ちなみに恐らくD#はB7の働きをしてる気がする。押さえ方も(6弦側から並べて)【XX1202】。これ5弦2フレット押さえたらB7やもんね。これでEmに行ったらそら気持ちいいわ~。同様にC#はA7の働きをしてる気がする。押さえ方は【X4200X】。これでD行ったらそら気持ちいいわ~。

で、ギターぽろぽろ弾いてると、不意に「暗闇坂むささび変化」に繋がる。というか、上述の理由でブラックバードをカントリーと捉えるなら、ベース音の上昇を
/G F# /E D /C C# /D D# / か ら の、Em
っていう下降~上昇に変換して、アフタービートで演ると「暗闇坂むささび変化」に行けるのかも、とか。こういう夜更けの発見(翌朝見ると大したことない)は楽しい。



そんな風なことを思って眠りに就いたのが火曜日の夜で、水曜日は昼間っからBBQでへべれけになってしまったので手付かず。木曜日、バイト前にちょっと考えるも何も浮かばず。帰宅後は逃げるように眠ってしまった。あの眠気はきっと精神的な逃避願望から来たものやと断言できる。いよいよ後がない金曜日、すなわち今日、今、レジ打ってま~す。

とりあえず20時~21時でスタジオの個人練習予約できたので追い込みをかけたいです。金曜夜はどこのスタジオも活況。いきおいギター持ってバイト来てしまったけど個人練難民にならずに済んで良かった。

2012年9月30日日曜日

夏、往ぬ’12

友達?いやバイト先のセンパイ?クバユータの磔磔単独公演がゆうべ終わった。そのバンドでギター弾いてんか~、と誘われてスタジオ入り始めたのが7月下旬、振り返るとあっちゅう間だった。

フタを開けるまで誰も予想できんかったくらいの大盛況、大成功でした。最終的に200人を超えるお客さんが来場したらしい。どうもありがとうございました。演出上、バンドは開場から開演までの間、ずっと屋根裏の楽屋でじっとしてて、開演の合図と共に階段を降りてみたら、見たことない景色が広がっていた。客席にテーブル出してたのが唯一の失策かと思える程の客入り。

一般に名の知られてないミュージシャンがそこそこの大バコでワンマンをやるってのは、本当にきわどい綱渡り。単に音楽のことだけ考えてればオッケーってもんではないと思う。実際、首謀者クバっちを筆頭に色んな人たちが、ポスターやチケットをデザインしたりそれを刷ったり、物販CD作ったり、お客さん呼んだりと、みんなで神輿を持ち上げる感じ。自分はマジで友達が少ないのでエレキギターで彩りを…、とか。過剰な美化です。

ライブの出来も良かった。ちょっとしたミスは暖かく受け入れられて、緊張が解れる良いキッカケになった。個人的にはスタジオで重ねたどのセッションよりもテンション高く演奏出来たし、鳴ってる音も良かったと思う。構成ド忘れとか、少し心配やったけどそれもなかった。ギターボーカルとの音の被さりを懸念して自分のギターはちょっと控えめの音で鳴らしてたけど、PAさんが上手くやってくれてるはず。終演後自分に声を掛けてくれた何人かのお客さんに褒めてもらえて嬉しい。ちょっとだけ顔見知りだった高校生の男の子に、ギター教えて下さいとまで言ってもらったことは特に感無量。エレキ冥利に尽きます。

ゲストで参加したバイオリン奏者のエリカさん、サックス奏者の登さんは圧巻のひとこと。プロっちゅうのはこういうことやって感じ。1~2回のセッションで曲のエッセンス抽出して完璧なパッケージにしてしまうという…。楽器そのものから鳴ってるで~って感じの音にサブイボ出た。

いい夜でした。サッチ・ア・ナイトでした。ふと誘ってもらってほんまに良かった。搬出したりその後もちょっとお酒飲んだりして4時くらいに家に帰宅、よしだたくろうの「祭りのあと」をちっちゃい音で流しながら、長引いた2012年の夏を葬ってやりました。

で、明日から10月。忘れてたわけではないけど、作曲家クラブの第4回品評会が7日の日曜日に迫っている。さすがに今回は曲調もコード進行も小ネタも何も準備出来てない。ていうかお題の「ブラックバード」って曲もまともに聴いてない。でも一週間しかないなら無いなりに何とかする、という企画なので何とかせんと。

2012年9月18日火曜日

どっかん(ここは退屈迎えに来て)

大阪の南の外れにある実家に帰りしな、難波のジュンク堂で山内マリコ「ここは退屈迎えに来て」という単行本を買った。 ちょっと前、ツイッター上で誰かがリツイートしてるのを見かけて、何か思うところあったのかそれを覚えていて、1ページ目の始まりが良かったのですぐにレジに持って行った。南海電車で読み始めて、郊外の実家に向かう状況とも相まって大いにハマった。

郊外の町を舞台にした8つの物語が入っていて、舞台となる町や登場人物などの設定がそれぞれの物語に絶妙に連続している。何でもやれそうな気がした10代があっちゅう間に終わってしまって、なんとなくウダウダしてる間に20代後半に突入、自分には出来ないことの方が沢山あるってことや、あんなに忌み嫌っていた画一的な生活スタイルが今の自分にとって快適なものになっていることに気付いてしまった、もう若くはない若者たちが描かれている。自分とおなじ。

一冊を通して、椎名君という登場人物の扱い方が秀逸で、めちゃめちゃ切ない思いを何度もさせられた。ほとんどの物語に椎名君は登場するが、あくまで彼は登場人物として存在し、それぞれの物語、時系列の中で、それぞれの主人公との関係性の中で現われる。主人公目線で描かれたそれぞれの物語を読み進めていくと突然、全く別の文脈に放り込まれた椎名君が現われるという…。このやり方に何度もくらっとさせられた。もしこの小説が、椎名君の時系列に沿った「椎名君の物語」だったら、ありがちな都落ち小説だった。複数の異なる視点から描かれた「椎名君」はこんなに切ない。

実家へ向かう南海電車と、実家から京都へ帰る南海電車~阪急電車で読み終わるくらい軽い文体で書かれていて、めっちゃ読みやすい。現代の文学に殆ど触れたことのない自分にとって、3.11やツイッター、フェイスブックなんかが登場するところも一々新鮮に映った。

あと、映画「サウダーヂ」を観た時にも思ったけど、アンチ画一化!fuckファスト風土!とか頭で唱えながらも、ロードサイドに暮らす当事者たちが、そのライフスタイルを享受し、なんだかええ感じに暮らしているということ(のヤバさ?あるいは希望?)、引き続き。
そう、サウダーヂの後で読んだ思想地図(ショッピングモーライゼーションが入ってる号)でも、東さんがショッピングモールに見出していた許容性だとかに、ほんの少しうなずいてしまった自分もいたのだった。

いまバイト先で本が手元にないけど、他にも現代の文体ならではのハッとする描写がいっぱいあった。普段小説といえば、現実から逃げられるように明治~大正くらいのものを何となく読んでいたけど、同時代の小説って案外面白いのかも~と思った。

p.s.
実家で仏壇まわりを掃除していたら、こんなカメラが出てきた。
無骨な一眼レフでも愛らしいハーフサイズでもなく、80年代てんこ盛りのフルオートコンパクト。

2周まわってかっこいい
フルオートでゲイジツ性を微塵も感じさせず、右下に日付なんかが入っちゃって、ちょっと暗くなったらすぐストロボ使わされるようなカメラって素敵やな~、と思っていたので、箱付きがひょっこり出てきてくれて嬉しい。コニカのC35 MFDというモデルで、長らく続いたC35シリーズの国内最終モデルらしい。おじいちゃんはコニカのことを小西六と言っていた。

京都に帰って単三電池と35ミリフィルムを入れてみると見事にオートで巻き上げやがった。すごい。ただし、重要な要素である日付焼付け部分の電源は単三電池ではなく、裏蓋に隠されたリチウムボタン電池らしく(ネット調べ)、それを交換しないことには例の86' 9 18っていうデートは表示されない。BR2320っていう電池はとっくに生産終了、互換性のあるCR2320は辛うじてネット通販で海外製を購入可能とのこと。36枚撮りのフィルム入れてしまったので、チャッチャと撮り切ってボタン電池を交換したく思います。ちなみに取扱説明書によると、オートデートの設定で2019年まで表示出来るそう。

2012年9月3日月曜日

第三回作曲家クラブ

なんとかまにおうた

土曜日深夜2時半~4時半でスタジオ行って、バッキングを流し込んでおいた小さいMTRの空きトラックに歌声を入れる。MTRは4トラックなので、ソングをふたつ分作っておいて、ソング1に3テイク分の歌、ソング2に3テイク分のコーラスを録音した。キーが低いけどギターを優先して録音済ませてしまったから今更どうにもならずそのまま歌う。

帰ったら録音した歌計6トラックぶんをSONARに流し込む。WAVファイルを読み込ませるとかではなく、文字通りMTRのラインアウトからオーディオインターフェイスにケーブル接続してDAWに流し込んで録音、各トラックの先頭に入れておいたクリックの波形を見ながらDAW上のオケとのタイミングを合わせる、というやり方。すんごいノイズ!

ヘタクソな歌の中からマシな部分たちを繋ぎ合わせてボーカルトラック、コーラストラック2トラックにまとめる。ほんで毎度お馴染みダブリング。この時点で余裕で朝に。イントロ、アウトロ、ソロが全く空白で残っている。イントロアウトロは大体毎度後回しにして発表当日の朝に手を付けることになるから、大体毎度酷く手抜きになってしまう。今回も然り。

で、もう11時回っていたので全15トラックの音量だとかエフェクトだとかを確認していって、書き出し~サウンドクラウドにアップロード。終わり!



そうそう、1番Bメロの歌詞が土曜の夜の時点で出来てなくて、神にも祈る思いでスタジオまでの時間を過ごしていたら、なんとか思い浮かんだ。毎度思うけど、こんな歌詞の書き方はバンドとか自分のライブで歌う曲だと恐ろしくて絶対出来ない。録音から1日経った今、推敲を重ねて書かれた歌詞と直前に書いた歌詞とが共存するこの歌を聴いて、自分自身どちらがどうとか特になくて驚く。案外こんなものなんか?

作曲家クラブ、メンバーそれぞれの力の入れどころがあって面白い。元々は曲作り(とくに歌詞)の遅い自分に何らかの刺激になったらええなと思って、友達を誘って始まった企画やから、自分の場合は動機のド真ん中に自分にとっての歌がある。今回のテーマにしても、自分が通ってないジャンルの音の中で何を歌うんか?みたいなところが大きくあった。ロックバンドがブルース進行の中で酒や女の事を歌う、なんてのは別にどうってことないんである。

「飛・び・た・い」これは深夜徘徊をオブラートに、アマニタ・パンセリナだとかを読み耽った真剣10代の頃の純粋な気持ちを歌にしたもの。こういう気持を恥ずかしがったり「イタいわ~」とか言いながらオトナになっちまって、そのくせ酒に酔っぱらってるこの世界そしておれに向けて歌イタい!あの気持ちウソやない!

次回のお題は「ビートルズのブラックバードっぽい曲」となりました。
ジャンルじゃないお題は初。一見具体的なようで、非常に難しい気がする。ブラックバードは昨日初めて聴いたけど、何をもってブラックバードっぽくしたらええのか?ワカラン。

2012年9月1日土曜日

第三回作曲家クラブ迫る

いま締め切り16時間前。こんなときにバイトなんである。

なす術ないので、現状をば

今回の曲にQY70ねじ込むの諦めた。パターン選んでコード進行入力して演奏させてみたものの、ダメダメな感じやった。少なくともプリセット使わずに打ち込めるようになってから曲に使うべきと判断。大英断。その判断が随分遅くなってしまって、実際にDAWを立ち上げたのが昨日の夜。いつもの感じやないか…。QY70がなんとかしてくれるってずっと思ってたなァ

結局四つ打ちのリズムだけQY70のプリセットから借りてきて、SONARに流し込んで2小節くらいのループにした。非道い!QY70殺し!フィルとかハンドクラップとかはZOOMの謎のリズムマシンから借りてきてループ素材に。

次にメインで鳴ってるエレキギターのカッティング。いつも通りギターで曲を作っていたから、その時に思い浮かんだフレーズをそのまま録音。サクサク進む。

次、ベース。超厄介。家にあるエレキベースはポジションによって音の大きさが全然違う。おまけに1弦はめちゃくちゃ音ちっちゃい。そして12フレットの弦高が1センチぐらいある。さらにオクターブ調整やってもやってもフレット押さえたら半音近くシャープする。あと勝手にペグが回って1曲持たずにチューニングが下がる。こんなじゃじゃ馬ですがちっとも可愛くないです。しかしながらQY70でのベース打ち込みを諦めたので、これを弾かねばなるまい。

開放弦を使わないと決めて、弦ごとにチューニングをずらしてそれぞれの調弦の落としどころを探る。ベース用のプリアンプとかシミュレーター持ってないので、ギター用PODに繋いでそれっぽい音を探す。フェンダー系のギターアンプにオートワウをかましたらそれっぽくなった。ベースライン考えたりしながら、ワンコーラス録ったら再びチューニングして。ベース録るだけでえらい時間掛かってしまった。

ここまででドラム関連の素材3トラック、ギターのカッティング1トラック、ベース1トラックの計5トラック。時刻は明け方、何回も繰り返して聞いてるから次第に良くなってきて(いつものアレや)寝る。

正午、目覚めるもディスコとは何であったかを考えないままに寝てしまったことを思い出して寝覚めが悪い。時間ない。事前リサーチでストリングスが多用されてた事を思い出し、マイクロコルグのプリセットを漁る。ずばりストリングスっていう名前の音があった。アカンアカンと思いつつも、焦りやらなんやらで取りあえずデフォルトの音から1オクターブ下げといたらバレへんか、と意味不明な小細工をする。思い浮かんだフレーズをササっと弾けたらええけど、鍵盤全く弾けないので、まずは曲に合わせてそつなく弾く練習から。また時間かかる。正直ストリングスは音楽的判断よりも、「ディスコにはストリングスが多用されてた」っていう言語的感覚で無理矢理取り入れたもの。フレーズのセンスもないから実にダサい。しょうがないねぇ。結局Bメロだけストリングス入れて他のとこはやめとく。Aメロにはウーリッツァーの音で軽やかな感じのバッキングを入れておいた。下手やのに音色だけでええ感じになる。

あとはソロ手前の導入部分でディストーションっぽいギターがR&Rの5度6度のリフを刻むという超画期的アイダアを録音する。自分がディスコ知らんだけで絶対誰かやってるでしょってくらいの秀逸なめぐり合い。

これにて大体のパートが出揃って、細かいとこいじったりしてたらバイトの時間に。

このあと

そう歌を録音していない。ていうか1番のBメロ部分の歌詞が出来てない。さっき大宮246の個人練を予約した。ちっこい4トラックMTRの4トラック目に、バッキングを流し込んで持って来ている。スタジオは26時半から。それまでに出来てないとハハハァーンて歌うことになってしまう。

帰ったら未着手のイントロとアウトロ。
あとソロ部分。もうエレキギターでええか。
明日陽が昇って元気ならボンゴとシェイカーを録音したい。
とにかく歌詞はよ!有線うっさいわ!

2012年8月29日水曜日

QY70

第一回グラム、第二回ブガルーときて、今回のお題は80'sディスコ。ディスコ行ったことないしクラブ音楽も全然聴かない。アウェーィ

メンバーの都合で、発表は9月2日となった。一日延びた!とはいえ締め切りまで一週間切ってる。

進捗具合は…
色々書いてるノートを見てみると、8月21日に着手していて、現在までに大体の曲の感じは出来つつある。けど、頭の中で鳴ってるあやふやな音と、ノートに書かれた歌詞とかアイデアがあるだけ。これから数日でこれらを音に直さなくちゃならない。大丈夫かね?

ひとまずディスコなので、ドラムは打ち込みか?という雑な把握でいるけど、打ち込みはほぼ未経験なんである。ベースもしっかりと聴こえるのが理想やけど、家のエレキベースはことごとく絶不調なので、こちらも打ち込みになってしまうんか、と何となく思っていた。そんな気分の先週木曜日、何故かバイト先にYAMAHA QY70という初代ゲームボーイみたいなシーケンサー(音源てんこ盛り)が転がっていたので、ダメもとで借りてみた。取説もアダプターもないし、ちょっと本体割れてるし、バックアップ用の内臓電池切れてるし、ほんまにダメもと。しかし未知の90年代のハード機材、狙っても出せない絶妙なダサさに若干ときめく。このときめきが消えるまでにある程度使えるようになりたい。

内臓電池交換はネット上に情報いっぱい上がってたので難なく交換できた。コンビニにも売ってるCR2032というボタン電池。取説もYAMAHAのサイトから無事ゲット。しかし情報量が膨大(音源リスト68ページ!、ベーシック編92ページ!!、リファレンス編181ページ!!!)過ぎて大変。ハードシーケンサー自体初めてやから斜め読みも出来んし。締め切り一週間前にこんなとこに時間費やして大丈夫なのか大丈夫じゃないのか。読みながら焦燥感募る。

以下QY70への理解と疑問を列挙す
●大きく分けてソングモードとパターンモードがある。これは間違いない

●ソングモードは実際に一曲通してイントロからアウトロまで、全パートに完璧に演奏させるのを目指すモード。のはず
●ソングモードにはパターントラック/コードトラック/テンポトラックという、楽曲制御の基本って感じの3トラックがまずあって、それとは別に、主にメロディパートを鳴らす為のシーケンストラックが16トラックある。多分合ってる
●パターントラックに数小節程度の断片(パターン)をお好きな順に配置することで、(特にリズム隊、和音楽器などの)まるまる一曲分のバッキング作成がラクラク出来る。はず
●コードトラックに作成する曲のコード進行を入力することで、コード面で曲の進行を司ってくれる。パターントラックへのコード進行の指示を出すトラックと考えられるので、音そのものは鳴らない。はず
●テンポトラックは、途中何小節目からテンポ落とすとか、そういう情報を入力して、曲中のテンポチェンジを司ってくれる。もちろん音は鳴らない。はず

●ソングモードに対置されるパターンモードで作成するのは、ソングモードのパターントラックに断片として並べる為の数小節のパターンのストックである。はず
●パターンモードには膨大な量のドラム、ベース、サックスやらフルートやら…のフレーズパターンがプリセットされていた。これも間違いない。
●ソングモードのパターントラックは、トラックとしては1トラックだが、パターン自体に8トラック分の音を鳴らすことが出来るので、シーケンストラック16トラックと合わせると、実質24トラックになる。はず。

ギモーン
●パターントラックのプリセットフレーズ聴いてて「使えるけどバスドラをシンコペにせないかん」みたいなパターンがあった時、「ほんじゃぁステップ録音ってやつでこいつを上書きしたらよい」と思っても「プリセットなので無理です」みたいなメッセージが出る。一部分直してほぼそのまんま使いたいフレーズやのにもったいない!ってことが起こる。
●で、「じゃあそのプリセットフレーズに使われてる音色使って全部手打ちしたらよい」と思っても、プリセットフレーズ名はあくまでフレーズ自体の名前であって、使われてる音色の名前が分からんので、アホほどある音色リストから耳だけを頼りに探すハメになって、面倒になってやめてしまう。
●パターンモード、ソングモード共にキーを設定出来るようになってるけど、例えばパターンモードでDキーで作ったパターンを、Cキー設定のソングモードに配置すると、移調してくれずガッチャガチャになってしまう。
●ソングモードのパターントラックに配置したフレーズは、ほんまにコードトラックに入力したコード進行に追従して鳴ってくれるのか。
●ラインアウトがステレオミニフォンしかない。

どれも取説熟読したら解決しそうな感じやし、帰ったらここらへん確かめたいけど、締め切り前にこんなんやってて大丈夫なんかな。

2012年8月6日月曜日

つづけ、なつやすみ

7月はとうに終わってしまった。前の日記からも半月経ってる。はやぁ

その間

ライブハウスで一人でやった 7月25日
ライブハウスとブッキングについて再び熟考せなあかんくらい人がおらん。観に来てくれたリーさん松ちゃんに感謝!あんなんノルマ満額払ってたら死んでしまうわ。でもやっぱり客席に知らん人が全然おらんって状況はイマイチ元気が出ない。商店街の七夕まつりでやった時の方が歌ってて断然気持ちよかった。見知らぬ人、別にライブハウス行かんような人に聴いてもらうのが相当気分ええのかも。あ、七夕まつり後日談。七夕まつりに来てた人が自分の歌を良かったと言ってくれていた。後日、会場だった自転車屋に、当日の写真を現像して持って来てくれたらしい。あの日歌を聴いてた誰かがイイネ!て思ってたって事が大概嬉しいですが、こんな風に自分に戻ってくることは滅多にないからほんまに嬉しい。こういうのを燃料にして生きたいんです。写真もありがとうございました。ああ直接聞きたかった。

バーベキュー行った 7月26日
桂川を渡る道路の温度表示も38℃越えの真夏日やったけど、橋の下は風が流れてて気持ちよかった。バーベキューとか全然せんから、意外な過ごし易さにびっくりした。そらみんなハマるわ。自転車の荷台にほぼ全てのBBQ用品を積んで炎天下を走るHRNさんは相当頼もしかった。昼前からずっとビールや発泡酒飲んでたけど、アルコールが汗になってヒューと風に流れていくみたいで嫌な酔っ払い方せんかった。酔ったみんなも面白かった。

サポートのリハはじまった 7月26日
友達?いやバイト先のセンパイ?が秋口にワンマンライブやる。自分なら日和ってしまうような内容。サポートといえどそろそろ本気出さなヤバいんちゃうかと思い始めている。演奏する曲も、自分の手が届く範囲をはみ出してるから、どうやってねじ伏せたらええのんか。もっとどうでもいいことまでみんなで喋ったほうがええ気がしてきた。バンマスは今映画の撮影でトーキョーに行ってしまっている。

和歌山へ 7月29日
名古屋帰りの友達に拾ってもらって、夜道をぶっ飛ばして友達の地元和歌山へ。明け方到着、昼前に起きて和歌山のええ所をあちこち連れ回してもらう。南へ下る国道42号線とか岬へ向かう細い山道を走りながら、友達はこの8月に出す全国流通の初めてのアルバムをカーステレオで聴かせてくれた。めっちゃ良かった。どの曲も日本語のロックンロール、それでいて馬鹿っぽい紋切り型には陥ってなくて、ブルース進行にかまけた曲とかひとつもなかった。ルースターズのファーストとかにあるような、どこで切ってもルースターズのファーストや、っていうまとまり感を見事に捕まえていると思う。ナイスディレクション!しかもコレ全部自分らでやったんやからほんまにすごい。バンドをやる意味はこういう感じを出せるか否かってところやと思う。リピートで再生しながら和歌浦のバグースへ。ほんまにほんまにええところ。岬の山道から、旅館の脇を下る細い階段(真夏の抜け道!)がそのまま海につながっていて、浜辺に着いて振り返ると旅館の1階(あるいは地下3階?)部分が開けっぴろげなカフェになっている。その日はイベントをやっていて、砂浜にも椅子やテーブルを出してくつろいでいた。夕暮れの和歌浦と遠くの街灯りと海風と音楽と大きな月とコーラと潮騒と…。感激し過ぎて帰りたくなくなってしまった自分はコーラの空き瓶に和歌浦の砂をギッチリ詰めて持って帰ってしまった。夏の間にもう一度行けたらええなー。

この階段を下ると

完璧な夕方


作曲家クラブ再始動した 7月31日
会長のリターンズで再開。お題は80'sディスコ。締切りは夏休みの宿題にちなんで8/31。発表は9月1日。今度こそ早期着手を。

友達がフジロック出てた 7月末
なんとなく毛嫌い(こういうの多い)してたフジロックフェスティバルに、大学時代の友達のバンドが出た。ルーキーアゴーゴーというステージで、音源とプロフィール写真のみを材料に、毎年すんごい数のバンドが応募するらしい。去年10インチ出した時も、やりよったー!と思ったけど、相変わらず飛ばしている。すげぇ。西院フェス初日の夜に一緒にお酒飲んで色々話聞かせてくれた。いままでは観たいバンドちっとも出てへんのに入場料何万も払えるかボケぇ!と思ってたけど、遠くで音鳴ってる原っぱでゴロゴロしたりすんの楽しそう。近場でそういうの、もっとチープなやつやってないんかな。

西院フェス観に行った 8月5日
二日目の春日神社に奇妙礼太郎とか、ふちがみとふなとが出演するので観に行った。神社の裏口で涼んでる時にふちがみとふなとが始まって、小学校のフェンス越しに聴こえては空に消えてく歌が良かったのでしばらくそのまま座っていた。こういう野外ライブも音楽聴取のひとつのあり方に過ぎないと頭では分かっているものの、ライブハウスって閉じた寂しい場所やんなぁとか思い出してしまう。ライブハウスにしかない良さも知ってるはずやけど。そのどっちもでピカーンと光る歌や歌い手は最高やと思う。日が暮れかけて観た奇妙礼太郎もめちゃ良かった。タンバリアって曲とか、音源と違ってエレキでR&Rのリフを前面に押し出してテンポ上げてた。音源そのままでも全然バカウケしそうなロケーションやのに、かっこいい。

とはいえこういうお祭、特にメイン会場ともなるとそこで鳴らされる音楽は公約数の大きいものになるんかな、と全体を見て思った。なるべく大勢の人が楽しくなれる音楽。なるべく大勢の人が踊れる音楽。陽気で、難解でなくて、人畜無害で…。ニューオリンズっぽいジャズ、ジャグバンド、ブルースとかファンクとか、3コードあるいは一定のコード循環の反復、英詞で歌われる曲も少なくなかった。まわり見渡してもみんな楽しそうに踊ってる。自分もそういうの大好物、なんやけど、それ以上にへそ曲がりなんか?でっかい教室に放り込まれたような気分にもなったりした。おれ窓際の劣等生イェー。イヤなら帰ればー、みたいな短絡思考はいかんいかん。最高の中に最低があったり、最低の中に最高があったりするから。自分だって大音量で鳴ってる音楽を楽しみながらこんなこと考えてたわけやし。

2012年7月16日月曜日

週末散財記

この週末は楽しかった。

土曜の夜、みなみ会館でオールナイト映画!富田克也という監督の映画4本立!
前からずっと気になってた「国道20号線」がついに観られるってことで意気込んで行った。富田克也という監督のことも、空族のことも知らないし、おまけに20号線は一番最後、3時40分からの上映だったから、しんどくなったりせんか心配してたけど、どっこい一本目から面白くて眠たいどころじゃなくなった。ひとりで行ったけど、終わってから誰かと喋っておきたかった。

一本目冒頭、現場仕事の昼休みの中華屋で互いに自己紹介し合う場面での役者さんの面構えがかっこよくって、そのすぐ後の「サウダーヂ」ってタイトルの出し方もよくて、すぐに映画の中に飛ばされた。
2010年くらい?の甲府を舞台に三時間の間、不景気、派遣労働、移民労働者とその二世、郊外化、大麻、マルチ商売とか、あれやこれやのエピソードが微妙にかぶさって混ざりながら映画は進む。 「終わってるわ~↓でも希望は捨てないわ~↑」みたいな話じゃないのがなんだか気持ち良かった。確実にやばいものが映っていたなぁと思う。たぶん劇中の人たちには、映画として外側から観た自分が受けたような、衝撃的なまでの「終わってる」実感はなく、上に書いたようなあれこれが少しずつ確実に自分のまわりを蝕んでるかもしれないことにうっすら気付きながらも、その場しのぎのしょっぱい娯楽快楽で窮屈な欲望を満たして暮らしている。普段実感されない「終わってる」感は、ある日、誰かの勤め先の建設会社が潰れてしまったり、誰かが生まれた国へ帰ることになったり、誰かが傷害事件を起こしたり、結局は個人の出来事に還元されてしまうような、新聞の隅っこにも載らんくらいの、小さな事件としてちょろっと顔を出すだけ。観客視点ではこの町でそれらが全部繋がってるのが目に見えるけど、劇中でひとつの構造の内側に取り込まれてしまった登場人物たちにとって、自分以外の誰かに起こる出来事は無関係な他人事。むしろ映画だったからこそ、主要な登場人物を介してそれぞれの連なりが目に見えたのかもと思う。いま自分は何の内側に居て、どんな感じに終わっていってるんやろ。

残りの3本を観て分かったけど、役者さんたちの多くは他の空族の映画にも出演している。普段あまり映画観んけど、例えば「愛しのタチアナ」のヒゲのおじさんを別のカウリスマキ映画で再び見かけるような楽しさがあった。「雲の上」でのシラス君のちょっと足りないチンピラの感じとか、めちゃくちゃ良かった。おまけに20号線のエンディングのすんごい曲、LFBというグループでギターを弾いてるのもシラス君に同じく鷹野毅という人だった。何の事前情報も得ずに映画館に行ったけど、空族周辺の人たちすげぇ。全部山梨。
そういえばサウダーヂでラッパー役だった田我流もめちゃかっこよかった。いい顔。墓場のDiggerが流れるシーンでちょっとニヤっとした。こういう細かいところ、たまたま自分が気付いた些細な演出によって、この映画絶対イケてるわ、ってなったりする。今思うとサウダーヂも20号線も雲の上も、そういうのが沢山散りばめられてた。サウダーヂ、建設会社が潰れると聞いた後にセイジがロープを片付ける(シュルルっと腕に巻きつけて輪を作る)動作とか、水パイプ吸ってる時の会話とか。20号線だと、主人公の同棲相手がカラオケでアムロの曲を歌う(2007年にキャンユーセレブレイトを本気で歌うやるせなさ)時のマイクの上げ下げの動作(めっちゃおもろい、そしてそれを曲終りまでガッツリ見せられる)とか。思い出せないだけでこういう現実感があっちこっちに埋め込まれてた。

20号線はサウダージよりももっとクサクサした感じだった。こちらも地方都市を舞台にしてるけど、主人公はシンナー中毒やったり、金借りまくってたり、あらかじめ結構ギリギリな感じで、Vシネマを見るような、ちょっと別の世界の絵空事みたいな感じがあった。サウダーヂの開けた感じ(登場人物のあり方の多様さ)を観た後だったからかもしれんけど、ロードサイドの均質性とか、そこですべて完結出来てしまう人生の空しさとか、痛々しい部分がより強調されているような気がした。国道沿いに見慣れたドンキとパチンコ屋と消費者金融を結んだ内側にあんな人生があったりもする、っていう薄ら寒さが確かにあった。

あまり映画館に足を運ばない自分がバイト終わりに徹夜で4本の映画を観る、という奇妙な体験の所為もあって感想もままならないけど、すごい夜だった。 サウダーヂは何回も観たい。

日曜、豪雨の去った明け方の町をチャリで走って帰って昼まで寝て、夕方からは知人のバンドの結成1周年イベント。4組の出演者全て観たことがあって、どれも見応えのある人たちだから、私のフジロック、くらいの気持ちで観に行った。 お客さんも沢山入って、祝!ってムードあふれる良いライブだった。やはり何かを観に行く、誰かと言葉を交わすっていうのは頭の中を掻き混ぜてくれるから本当に良いなと思う。


2012年7月8日日曜日

七夕まつり

ゆうべは三条会商店街の七夕まつりだった。
バイト先の自転車屋でも本職のカレー屋さんを呼んで出店してもらったり、軒先でティーシャツとか小物売ったりビール売ったり店内でライブやったり、にぎやかだった。ビール売りの手伝いが出来なかったのが申し訳ない&残念。露店から通りすがりの人たちを眺めてみたかった。1kmくらいあるアーケードが人でギッシリ。

で、いまバンドがない自分は弾き語りで歌をうたった。そういえばギター持って初めて人前で歌ったのもココやった。去年の5月25日に、三条会で三周年記念と銘打って定休日にライブをやったのだ。その時はまだドラムのイナさんが居なくて、ベースの松ちゃん鍵盤の小森ちゃんの3人でやった。それから4人組になってひとりになって、昨日。

エレキバンドにしびれてギター始めて今日まで過ごしてきたから、弾き語りというものが掴めていない。観たことはあります、くらいの意識の低さ。音楽を鳴らせる一番ちっちゃい単位っていう面しか見えてない。でもこれだけ音楽のやり方、選択肢が増えてなお、アコギと歌っていう方法が支持され続けてるのには、もっと積極的な理由もあるような気がする。周波数特性的に歌声との棲み分けが容易、とか?ハードを一本のアコースティック楽器に限定することで生じる不自由から如何に飛んでみせるか、とか?しかし結局エレキギターが好きやから、ゆうべもエレキギターで弾き語りをした。やっぱ単純にクリーントーンでジャーンて鳴らしてもエレキの音は切ない。エレキ音楽ばかり聴いてアホになったのかも。

バンドじゃない初めての演奏、七夕まつりということで商店街を歌った曲を作った。バスドラと10穴ハープと歌を一人で。ちょっと前にシバという人のレコード「青い空の日」を聴いていてアイデアが浮かんだから。一週間前のちょっとした閃きをそのまま実行に移してしまえるのも弾き語りの良いところと思う。つかの間の歌はワクワクしながら作れる。ちなみにハープは激ヘタなんである。

当日、バスドラのペダルは壊れてて、本番では共演のミヤザワ君にGのワンコードでボディドリーぽいのを刻んでもらい、同じく共演のジェフ君にフロアドラムをバコバコ叩いてもらって演奏した。ありがとう。時間なくて曲調含め一切打ち合わせしなかったのでBPM200超えてたと思う。うわ、ちゃんとせなあかんかったやんゴメン!と思ったけど、なんとか歌を詰め込んだ。速すぎて死んでしまうかと思った。あぁ楽しかった。

せっかくひとりやし、ひとりでしかやれないこと、ひとりでしか踏ん切りのつかないことをたくさんやりたい。

2012年7月2日月曜日

でも・デモ・DEMO

デモがさかん

再稼動の週末、自分は国会まわりに何万人もの人々が集結する様子や大飯での抗議活動をツイッターやユーストリームでちらちら眺めていた。鮮やかな視覚情報が自分の世界認識に与える影響は大きい。結局のところは誰にも知りえない民意。たかだか10人の人間が集まったって、物申す言葉は10あるはず。選挙みたいに「この中から1人選んで多数決」なんていう胸糞悪い最低のやり方で民意を測れるはずない。国民国家維持する為にはそんなやり方しかないのかなーとか思うけど、選ばれた人たち、そんなことすっかり忘れて胡坐かいてるように思える。国会に何万もの人々が集まったことは、政治家が思い込む都合のいい「民意」がどれくらい現実と乖離してるかってことを直感的に知らせてくれた。

デモ行くか?っていうと躊躇する。サウンドシステム使ったやつとか、四つ打ちの曲がガンガン鳴ってて、だっせぇとか思ってしまう(うそ。大げさに言っている)。きっと原発に関して自分と近い気持ちを持つ人たちやのに、なんでそんな些細な文化的差異に着目して、自分はデモって柄じゃないわーとか思ってしまうんやろ。こういう根性良くない思う。ヒッピーもパンクスも学生もフリーターも金持ちも子持ちも、てんでバラバラで、バラバラのまま反原発の意志の下に集まるっていう、当たり前のデモの姿も、自分には馴染みが薄い。個人主義を履き違えてバラバラになって、結局権力に都合のいい捨て駒になってしまったような気がする。


2012年6月26日火曜日

レッツドロップデッド

今日も昼勤。暇が立て込んで気分がイイ。

最近?というかこの半年ぐらい、生権力という言葉がふと浮かぶ。いきなり涌いて出たわけじゃなくて、その言葉を耳にしたからなんやけど。その言葉はスポーツと現代社会っていう15回講義の最後の方でほんのチラっと触れられただけで、試験にも出題されなかったと思う。

その回の講義では、60年代と近年のふたつの時代のオリンピック入場行進の写真が提示された。60年代は各国の選手全員が服装や足並み揃えて箱詰めおはぎ状態で入場しているのに対し、近年では服装こそ統一されているものの、選手は客席の写真を撮影したりテレビカメラに手を振ったり、思い思いの身振りで入場してるでしょ、というもの。その対比から、入場行進における選手の身体は自由になったかのように見えるけど、その実、選手たちが自らの意志によって自らを律することで、誰かにとって都合の良い秩序や統制はしっかりと保たれてる、という風に導かれたように記憶している。同時にスノーボードの国母選手への強烈なバッシング事例も取り上げて、スポーツ選手がまとう自由なイメージは、人々が彼らに認める範囲の中での自由であって、それを越え出てしまった者に対しては容赦がない、という感じでくくられた。

自分は生権力というものを、(((規律とか法律など上からの強制ではなく、自ら内面化し自発的にそれに従い、衆人監視の中でそれを他者にも要求する性質のナニモノか)))、という風にぼやぁっと理解した。まったく掘り下げてないから相当雑な認識やろけど。

その時はヘェ、くらいに思ってたけど、常識とか世間とか自重とか、いろいろ思いあたる節がありすぎて半年経った今でも不意に思い出す。ほんまに自分の思ったことを言ってるのか、自分のやりたいことをやってるのか。小さい頃、先生や親に怒られへんように感想文書いたりしてたように思う。産まれたての混沌とした自由は、家庭とか学校で一定の傾向付けがなされるのだろう。それに、欲望は他者の欲望であるっていうことも何となく分かる。他者の欲望の帰結として自分が世界に放り込まれたことが既にそうで、例えばそこで言葉(的な身振り)を使わないなんて選択はありえないと思えるし、他者の言葉を内面化せざるを得ないってことは、欲望のあり方もあらかじめ他者に規定されてるってことじゃないんか。そして仮に、その欲望が自分以外のなにものかにとっても都合の良いものだったとしたら…?お金とか労働とか生殖とか。人生費やしてでも所与の欲望を拒否して自分自身の欲望を見出せたらいいでしょう。人生は大げさなものじゃないけど。

はたしてビタミンは効くのか

暇がつづくわ。

今日持ってきてる弁当のおかずにニンニクの芽の炒め物が入ってて、ニンニクの芽ってどんなんやと思いちょっと調べたら、ニンニクよりも臭くなくニンニクより栄養価が高いんですってよ。ド定番のおかず食材だったので嬉しい。

この感情って不思議やと思う。さっき見てたサイトにも「ビタミンAがCが~」とか書いてあったけど、自分にとってビタミン(とかその効能)っていうのは誰かの書いた文章の中に文字としてしか存在してない。それでも「ビタミンは良いものだ」みたいな思い込みがあって、こうして喜んでいる。

その思い込みは昔読んだ家庭科の教科書だったり、「思いっきりテレビ」観て夕飯を作った母親だったり、さっき見たサイトだったり、色んな所から刷り込まれたんやと思う。いま思いついた全部に共通するのが、教科書、テレビ番組、ウェブサイトという媒介物から「情報」として得られたものってことと、ウェブサイトを除いたそれらは極少数の者(出版社、テレビ局etc)たちの手によって大量生産され流布されたものであるということ。たった今これをプロパガンダだと思えば、世界が反転するような感覚を味わえた。たかがビタミンの話やから別にいいんやろうけど、実際もっと深刻なことだって媒介物から得られた情報だけを頼りに行動してると思うし、それへの信頼(というか身投げに近い投げやりな感じ)なしには暮らしていけないような気もする。みんなどうやって折り合い付けてるんやろ。

2012年6月24日日曜日

神戸へ行ってきた(純日記)

こうやってブログやめていくんやろか。
昼勤増やしたから夕方から遊べて良い分、アホ程暇な夜勤が減ってしまって、なにか物申してやりたい気持とタイミングがずれる。

ただの日記をば
昨日は友達の演奏を観に数年ぶりに三宮へ行ってきた。梅雨の晴れ間って感じだったので洗濯や片付けやってたらアパート出るのが15時過ぎてしまった。阪急で1時間ちょい600円。下手にミナミ行くよか近いし安い。たしか堺筋線乗り継いで日本橋行ったときも1時間掛かったし600円は超えてたと思う。

まずは、というかもう16時半だったのでモトコーだけ見て回ると決めて6番街あたりから元町駅の方へあるく。全然変わってないような、ちょいちょい変わってるような。好きな感じは相変わらず!あ、5番街と4番街の間のでっかい柱いっぱいにベタベタ貼られてたパンクとかハードコアの怖いビラが全部なくなってる。

4番街?らへんを歩いてるときに新しいレコード屋さんを見つけた。日本のR&R/ロカビリーってコーナーがエサ箱1箱分以上あってワクワクした。パッと見のジャケが最高やった「Thanks to Ediie/湯江健幸」500円、むかしBURSTて雑誌の「電撃ビリビリロック秘宝館」のコーナーで紹介されてた坂上忍のセカンド1000円を買う。忍兄ぃの方は1000円やし、大ハズレが少し怖い。けど両方ともジャケがめっちゃよい。

モトコーいえば
 「積み上げたレコードを柱にして高架支えてるんちゃうか」って友達と冗談言い合ってしまうくらいのエラい店があったはず。あった。だいぶ元町寄りの多分2番街らへん。こういう話にありがちな、案外そうでもない、というようなことは全くなかった。全棚カチカチにレコードが詰まってて、エサ箱の上に軽く50枚は平積みされてた。普段通りのレコードの探し方やと、ジャケットの上部3㎝程度の色合いのみをヒントに判断することになる。ん、コレなんやろ、って汗かきながら引っこ抜く度に心が折れる(ペドロ&カプリシャス憎し)。全体の値付けはほんまに安かった。でもPYGには4000円とかついてた!時間ないしオシッコしたいし、最適な探し方を見出せないままに店を出た。また行きたい。

で、ライブを
神戸108というライブハウス。初めて来た。第一印象はとっぽいぜ!て感じがした。よく行く京都のライブハウス、拾得とか磔磔、ウーララ、ネガポジって全部テーブルがあって、お客さんは座って飲み食い(ガチ飯)しながら観るってのが普通やから、すごい斬新に感じた。ライブハウスっていったら立ち見の方が普通なんやろうけど。
1つ目のバンドがジャジャーンって音鳴らすと同時にとっぽい(本気でそう見えた)お客さんたちがフロアの前方に寄って行って、あぁ、何かカッコいいと思った。

友達のバンドは2つ目に出てた
やっぱり良い。というか5年くらい前に一緒にバンドやってて、別々になって、それからやりたいことを尖らせ続けて昨日の夜に繋がってるんやから、いいに決まってるねんけど。歌が真ん中にあるロックンロール音楽はほんま好き。自分も別のやり方でそういうのがやりたい。この夏にファーストアルバムが出る。やりおった!
他のバンドも観た感じ、会場の音の特性が変わってるのか、自覚的にPAでそういう音に仕上げてるのか、声とか楽器それぞれの音よりも、迫力とか全体のうねりみたいなんがボワーと来るような音だった。これも京都(上に挙げたとこ)やとあまりない感じ。別の良さが確かにあった。そんな中で友達のバンドはエレキギター2人の5人編成やのにしっかり歌を聴かせてた。かっこよいなぁ。やるなぁ。

で、目当てのバンドがもうひとつあって
最後からひとつ前に出てた。高校生のころ大いに憧れていた堺のバンド。何年ぶりかになるけど、やっぱりほんまに良かった。キレッキレや。初めて知った時から、「お!ば!け!が!で!た!ぞ!」って決めたり、全く歌わんと曲終りまでやったり、上空に唾吐いたり、「ガレージ」とか言って括られた中では演奏もアクションも段違いにカッコよかった。で、それから何年も経って、もう全然分からない場所に居る。やれ、めんたいだ、ガレージだ、初期パンだ、元ネタが何だ、とか、そういうヒントを与えない、かつ、前よりかっこいい。たぶんこれはすごいことや。ティーシャツ買った。そして今着てる。嬉しい。


2012年6月3日日曜日

ロックは死にまへぇぇん!(苦笑)

今日の昼勤ヒマや。よかった。 さっき思ったことを書きたい。どうやって書くのか。書けるか

ルーズなロックンロールが好きで、ある種のレコードを聴いてると、ちゃんと「あ、これこれ。これだよ~」って思う。でも音楽を表した言葉って面白い。「ルーズなロックンロール」において、一体なにがそれを「ルーズ」たらしめたのか、「ロックンロール」たらしめたのかは、実はよく分からんままじゃないのか。いや、聴いたら「分かる」んやけど、言葉で表せない(≒分からない?)ってことか。「音そのもの(再生されたレコード)」から「ルーズなロックンロール」って言葉を導いたくせに、「ルーズなロックンロール」という言葉から、その何たるかを説明することの困難よ!

いま思いついたキッカケが「ルーズなロックンロール」というフレーズだったので変な例えになってるけど、たぶん「ロック」とかもそう、言葉全般がそう。

言葉を使ってものごとを言い表す時、その人は用いる言葉の意味を既に「知って」いないといけない。「辞書的定義を説明できる」といった「知識」としてではなく。なぜならその人が紡いだその言葉は、その人の生きてきた時間の中で、ずーっと再生産、内面化されてきたもので、辞書なんか引かなくてもとっくに「知って」いるから。

例えば「ロック」って言葉なら(なんかダッサ~)、その人にとって信頼に足る他者による「ロック」という言葉の使い方や、その人が観たテレビ番組、読んだファッション誌、友達がやってるバンド、好きなレコード、etcetc…あらゆるものから、その人の「ロック」は形作られる。
だから、目に見た・耳に聞いたものごと・対象物を、類型的に「ロック」である、と導くことは容易でも、「ロック」それ自体を言葉で説明することが困難になってしまうんじゃなかろーか。言葉のふるさとはあちこちに散らばっている。辞書には何も載っていない。

同時に、その人自身がその言葉「ロック」を用いてものごとを言い表すことで、再び「ロック」はその意味を生産し、その人にとっての「ロック」は更新される。
で、面白いのは、ある人が「ロック」って言葉を使うということは、「ロック」そのものを更新・改変し得るということじゃないか。なぜならその人もまた、誰かにとっての「信頼に足る他者」であり得るから。
「ロック」の使い方、例えば「がいこつ」マークに「ROCK」をあてがう。個人的にはこういうのが一番つまらんタイプの運用で、何の意味も生み出さない。でも、これも最初の頃は偉大なる更新・改変だったんじゃないかなと思う。音としての「ロック」は、「がいこつ」と全然関係ない。例えが下手で悲しい。
もうひとつ。どう聴いたってくだらないバラードまでもが往々にして「ロック」に含まれてしまう理由。そういう場合の「ロック」は多分に属人的である。それを歌う歌手の出自、言動、過去の作品、バンド編成か否か、といった記号が、ロックと親和性の高いものであった場合、くだらないバラードは「ロック」に吸収されちゃうんじゃなかろうか。「ロック」の越権。そしてこの越権行為はあらゆる言葉が普段から行っている。

きっとそんな風に、更新・改変、ときに領土の侵略を繰り返しながら意味を再生産することで「ロック」は今日まで寿命を延ばしてきたんやと思う。それゆえ、更新の度にあちこちでその正当性・真正性が争われるのだ。「あんなんロックちゃう」という風に。誰かが「ロックは死んだ」とか言ってるとき、「ロック」は別の方法で生きのばしている。本当に死ぬものは、それについて語る人も居なくなって、ひっそり死んでいく。

2012年5月31日木曜日

中古レコードの効能

ゆうべツイッターで「 #想い出のレコード店を語って自慢しよう」っていうハッシュタグがすんごい盛り上がっていた。基本的にはもう店をたたんでしまったレコード屋さんにまつわる想い出で、ツイッター人口の多さからか東京の話が多かったけど、読んでるだけで今すぐレコ屋に行きたくなるような話だらけだった。

レコード屋さん(中古レコ屋)って不思議やなーと思う。産業分類としては「中分類60-その他の小売業」になるんやろか。中古品やし、日本レコード協会の言う音楽産業市場だとか、あれこれのランキングだとかの数字には含まれてないはず。大きな動向とは無縁の物静かな場所。とはいえ、音楽の深みにはまるにつれ、中古レコード(や中古CD)から探すって選択肢は必然的に増えるやろうし、いま音を出してる音楽家たちが「新譜だけディグしてます!」ってのも考え難い。中古レコードが音楽を回してると平気で思える。

アマゾンは?ヤフオクは?って話になるけど、何故か自分はそのどちらもあまり使ってない。なんでやろ?ビニールジャンキー(蒐集家)たちのインタビューとか読んでても、欲しいものは手に入れる!と割り切って積極的に使ってるっぽい。でも思えば自分は、アレとコレを探してて、幾らまでなら出せる、みたいな感覚ではレコードを買ってないのかもしらん。これまでの暮らしの中であっちこっちからツマミ食いで仕入れた、何とはない情報の堆積(そしてそれらは全く体系化されてない)が自分の中にあって、レコ屋ではいつも膨大なレコードをめくりながら、ピンとくるやつが引っ掛かるのを待ってるという感じ。メディア論でプッシュ型/プル型って話があるけど、レコード買いにも当てはまる気がする。「おれはこれが欲しいねや」ってアマゾンとかヤフオクで決め打ちする「プル型」、何の身構えもなくレコ屋に行き、めくられてくるレコジャケ(遠い過去からの見当外れのプレゼン)の中から、自分に引っ掛かる一枚を待つ「プッシュ型」。どっちかに完全に分類出来るってことではないけど。

当然、昔のニューオリンズ音楽聴いてみたいなって気分の時に、数年来気に懸けてたガレージのコンピと出くわしてしまう(そして買って帰ってしまう)ような事が多々あって、それは普通の買い物で例えるなら歯ブラシ買いに出てペンキ買って帰るくらいの違いがあるんやけど、だからこそ、到底繋がりそうに無かった思考回路のミッシングリンクになったりする。あぁ、ほな、お歯黒にしよか、みたいな。

そんなこんなで、これからもレコード屋さんに足を運んでノンキな迷子になりたいぜと思った次第。

2012年5月21日月曜日

録音できるかな

昼勤でも暇なら書ける。

結局買ってしまったDAWソフト。土曜の夜に松ちゃんの学生証借りて買った。ソナーのX1というやつ。エッセンシャル版というやつ。


この前まで使ってた昔のソナーとはUIも全然変わってしまって、この際キューベースでもいいかと思ったけど、きっと細かいとこは受け継がれてるでしょと思ってソナーにしておいた。プロツールスは相変わらず素直にVST使えないってことで選択肢から外れてしまった。

あれこれのインストールとかオーソライズとかオーディオデバイスの変更だとかも、初めてパソコン触ったときよりだいぶ手っ取り早く済んでよかった。なんであんなに大変やったんやろ。

今晩は8時からいつもの練習場所でバンドのドラム録音。大好きな練習場所固有のリバーブ感を、幽霊を捕まえるみたいにマイクで捕獲したいのだ。

具体的にはバスとスネアにオンマイクで1本ずつ。これはあとでコンプで潰すやつ。ほんでトップに1本か2本。左から右に流れるフィルインなんかに余り必要性を感じないから1本で十分かも。というかドラム自体、完全にセンター定位か右or左に振り切ってもいいぐらい。で、アンビ用のマイクをどこかに一本。これは絶対に。あとで好きな分量だけ混ぜる。和歌山の友達が教えてくれた。どんな感じになるでしょう?あそこでマイク立てるの初めてやから絶対失敗するけど。おまけにドラマーの人と録音の方向性全然話せてないけど。





2012年5月17日木曜日

今日はトキオの日

夜勤2連勤2日目。掛け持ちのバイトも累計したら10連勤の8日目やった。なんかアホの子みたいや。どれも楽or楽しいからいいけどさあ。

今日は12時に起きて、新しいパソコンへのアイチューンズ移し替えに見事失敗した。おおむね全部のファイルをゴミ箱でクシュっとやってしまった。60ギガぶん。アートワークとかプレイリストは移行出来てたから油断してた。トキオのデビューシングルがぽつんと残ってて泣ける。久々に聴くとやっぱ最高
なんでこんな良い曲をこんな服装で歌ったのか。舞台上の文脈から切り離されてしまったステージ衣装は恐ろしい。ユーチューブなんかで普通になったこの手の断片化と親和性のない文脈への投げ込みは、何かをやろうとする自分にも何らかの形で内面化されてると思う。引いて見るクセがついてしまった。

で、バイトまで時間あったからアイホンを復活させに行った。年末に落として半年ぶりに。うわ-今日パソコンと携帯のことばかり考えてる。退屈な水曜日

2012年5月16日水曜日

パソコンが来た(純日記)

パソコンが来た。デスクトップのやつ。
先週、7年くらい使ってたノートパソコンが遂に壊れて、貧乏性かつ貧乏な自分にはありえんような迅速さで新しいやつをポチっとやってしまった(無論月賦で)。今日は朝からそれのあれこれで夕方まで掛かってしまってからのバイト。


気がかりなのは4年位前に買ってノートに入れてたDAWソフトのオーソライズがうまいこといくんかどうか。初回登録の時は海外のサイトをたらい回しにされた記憶がある。これが出来んとまたDAWソフト買わされるはめになる。ちょうどバンドで録音をしようとしてて、きっと練習場所とアパートをデータが行ったり来たりすることになるから、厄介なトラブルはごめんだよー。

録音について。
月曜の練習で、マイク何本か立てて録ってみましょって感じで、録音してみた。敢えて単純に自覚的に、いわゆるバンドのデモ音源とかにありがちな、ライブそのまま再現って感じの演奏を録った。オケの一発録りというやつ。歌ってないと演奏に余裕が出るし、オンマイクで録音された自分のギターの音が結構気持ち良くて嬉しくなったりした。当初の目的は、誰かに配るための音源を作ることだったから、このやり方でもええかなとは思うけど、やっぱりライブそのまま再現の演奏を録音するのは良くないのかも。

ライブでの音楽は、目の前で人間が演ってる分、良くも悪くも「音」以外の要素の補正を受けるように思う。良いほうに転ぶと、バンドの雰囲気とか饒舌なMCとか舞台上のアクションで駄曲もアンセムっぽくなったりする。悪い方はというと、そっちも同様に、属人的要素とか視覚情報が音楽的評価に還元されて、音楽が耳を素通りしちゃったりする。音以外の要素から音楽を評価する(ロックは生き方やろ、とか。きらいやけど)見方は歴然とあるし、自分だって好きなマンガをコラージュしてライブのチラシ作ったりしてるのはそういうこと(コラージュされる絵と実際に鳴らされる音の違和感を楽しんでる)なのかもしれない。でも、でも、じゃあ、じゃあ、ステージ映えのしないおれたちに何が出来るかっていうと音に物語を託すしかないんじゃないの。フェンダーのアンプからジャーンと鳴ったコードに含まれる情報とか、コンプ掛かったスネアの音に含まれる情報とか、そんな、記号として分化される以前の、意味の一歩手前のかけらを拾い集めて、好きなもの何から何までいっしょくたに音盤に詰め込めたら最高だと思う。異なる時系列の矛盾なき共存。そんなんがやりたい。


フェイスブック、わからん。在学中には恐らく喋ったことのない人からも申請が来ることに驚いた。そういうもんなんやな、とは思うものの、自分の発言がトモダチのメイン(?)のページに表示されるんかどうかとか、よく分からんから申請はおろか未だに何も書けてない。けど驚くほどみんな手を出してた。キミもか!基本的にはイケてることを載せてくっていうノリなんかなあ。自分も何らかの形でイケてみたい。

2012年5月12日土曜日

珈琲と演奏

ゆうべは3ヶ月ぶりにファンダンゴで演奏した。

もう阪急乗るぐらいのところから風が気持ちいい日だったし、改札抜けたときの十三の町の顔もすごい良かった。ようこそ!って言われた感じがした。はよ着いて楽器置いて喫茶店行って折り込みのビラを描いて、ってだけでもめちゃんこ楽しい。知らん町に好みの感じの喫茶店があると、たとえば心がざわついていてもコーヒー一杯で落ち着けるから本当に善い。「好きな感じの喫茶店」のぼんやりとした統一性と、コーヒーっていう飲み物の同一性とを媒介にして、自分がいちばん平和に過ごした時間とすぐに繋がる。昨日みたいに最初っから気分の良い日は、ただただ最高。

ファンダンゴはフェンダーのアンプがあって、エフェクター持ってない自分には嬉しい。アン直で素敵な音が出るし、それはつまりギターケースだけ持っていけば大丈夫ということ。でもリハーサルは相変わらず難しい。コンクリ打ちっぱなしで音が回るんだそうな。前回同様ボーカルと歌詞を最優先で!ってな感じでアンプの出音は控えめ、PAさんにもお願いしたんやけど、やはり初見の人には歌詞までは聴こえ辛かったみたい。後で分かったこと。

演奏自体は、これで箸にも棒にも掛からないなら致し方なし、って演奏が出来たと思う。いや、相変わらずカラオケみたいな歌声やしライブ全体の運び方とか喋りとかは全然芋やけど。観てる人を困った気分にさせるような失敗はなかったと思う。我々の普段からの練習あっての演奏ではあるんやけど、実は家出て会場着くまでの天気とか、喫茶店で飲んだコーヒーとか、出番前に共演者の人と交わした何気ない言葉とか、そういう当日の些細な出来事も多分に影響してるってやっぱり思う。自分たちのひとつ前の出番だった弾き語りの人が素晴らしく良くて、心の戸を全開にしてくれた。全部分かった上で、それでもなお全力でやるってことが大事やねんってところをばっちり受け取って、自分たちの出番に臨んだ。あんな風に直前の出演者の人の演奏に即時的に影響されて、それが自分の演奏に反映されるっていうのはライブハウスならではと思う。終演後見ず知らずのお客さんたちからもらった好意的な感想は本当に嬉しい。

自分たちの次の出番の弾き語りの人も素晴らしくて、最後の最後、店閉めますんで~って時にちゃんと感想を伝えられてよかった。やはり歌と言葉は強い。

中学からの同級生で高校時代一緒にバンドやってた友達が、超多忙だというのに偶然暇ってことで観にきてくれて、久々のお喋りもめちゃ楽しかった。おまけにバンド友達も連れて来てくれて、嬉しくなってみんなにビール奢ってしまった。終演後も色んな町でバンドやってる色んな人たちの話が繋がっていって、すごい素敵な時間だった。

で、そんな楽しいお喋りのひとときにフェイスブックの話になって、今さっきバイト先のパソコンでアカウント取った次第。軽い気持で手を出したら、10年以上振りに見かける顔ぶれがヒットしまくって、にわかに汗ばんでしまった。向いてないかもしれない。

2012年5月8日火曜日

ひっくり返せる、を見るということ

昼勤が増えてぜんぜん書けていない昨今。

「場所」は残ったし、権力者の愚かな決定は人々にひっくり返された。4月23日は最高の夜だった。この世界を取り巻くありとあらゆる決定、常日頃から自分を規制し、ともすれば被抑圧の自覚さえも起こらない決定決定決定決定。そんな馬鹿げた決定のひとつを下した(「この場所の取り壊しを決定しました」って言ってきた)やつらの目の前で、馬鹿げてる、おかしい、取り下げろ、って人々の声が飛び交うってことの圧倒的な当たり前さ!自分はというと、持ち前の引っ込み思案を活かして会場後方で9時間ずっと腕組みしてただけやけども、もう心の中では「そのとーり!」ってずっと絶叫してた。誰にも見えないところで決定は決定されて、それに異議申し立てする有効な手段なんて無いって思い込んでしまうような、あべこべの世界に暮らしてる自分にはこんなに当たり前のことが凄いことに思えてしまう。あの夜に立ち会ったことは自分の中に生き続けるやろうし、この世界のあべこべにちゃんと「いやや」って思えると思う。思い出せ。これがほんまやろ、このやり方がいいんやって昔っから分かってたやろ、思い出せ、って。

その時の実況まとめ。これをじっくり読むよりも、やっぱりあの場に居合わせた方がガツンと身体にくると思う。ひっくり返せる、を見るということ。




じゃあ、食堂でお祭り騒ぎをやろうってことになり、5月4日、5日、6日とライブとか演劇とか壁面のペイントとか、美味いご飯とか、お祭り騒ぎをやった。全部の原発が止まったっていう流れとも合流して、わいわいした良い3日間だった。

個人的にも、バンドの鍵盤奏者が参加できなくなってしまって急遽3人組で出演したり、PAのことをちょっと教えてもらって恐る恐る卓を触ったりと、ドタバタしつつも、ちゃんと成立してそこに立ち現われた「祭」に、やっぱりすげぇなぁ、と思ったりした。4月の終わり頃には、どうなることやら全然わからんかったのに。

スタートメニューにブラインドで辿り着けるのでしょうか
今朝自宅のパソコンが大変な感じになってた。数年前から画面の最前面にカラフルなストライプ出て綺麗な~とか思ってたけど、今朝立ち上げたら左半分が深緑に塗り潰されちゃってた。どうしよう。

2012年4月26日木曜日

人間はモノフォニックなんですか?

忙しくって何も書けんやないか。何のためのバイトやねん
書きたいこと書かなきゃならんことが起こったのに。また今度書こっと。

今日思ったことの中から書くに値しそうなこと
「頭の中で和音を鳴らすことは可能なんか?」

「ジャーン」とか、擬音でそれっぽくしているものの、実は単音しか鳴ってないんじゃないのか。少なくとも自分は単音しか鳴っていない。付随するコード感は全部「想像」の産物。

さらに言うと恐らく人間の口はモノフォニックだ。知る限りホーミーってやつでしか和音は鳴らせない。ホーミーも和音というより基音と倍音っぽい音を継続して鳴らすのみで、和音を歌うって感じには程遠い。

つまり、なんらかの曲を頭の中で想起する(鳴らす)とき、元の曲が何和音であれ、どんなアンサンブルであれ、全てが単音に還元されて鳴るってことにならんか。お気に入りの曲でやってみよう…

メロディ、ギター、ドラム、キーボードの旋律、次々にその時々で一番象徴的な音が前面に浮上してくる。間違いなく原曲があの曲だとわかる。でも、でも、頭の中で鳴っているのは常に単音。

単音でしか音を鳴らせない、単音でしか音を想起出来ない人間が、和音(あるいは同時に発音された複数の音)を聴くことで心に興るもの、とは。もしや音楽の根源的な秘密に辿り着いてしまったんじゃないのか。 良いところでタイムオーバー。

2012年4月23日月曜日

第二回作曲家クラブ

昨日は第二回作曲家クラブ品評会だった。前日の夜中までどうなることやら全くわからんかったけど、集合時間に1時間遅刻してギリギリ間に合った。くわばらくわばら

記憶の確かなうちに作曲~録音にまつわるメモを残しとこうと思う。
先週金曜夜に書いた前回の日記の時点で、コード循環とメロディが浮かんで、それに引っぱられて歌詞のイメージを掴んだっていうところやった。今思うと全体の2%ぐらいの進度やんか。で、金曜深夜帰宅後すぐ歌詞や展開をちょっとだけ考えて、まあいいやと寝る。

土曜は昼前に起きてまずスタジオ個人練習予約。今回はアパートでぼそぼそ歌うんじゃなく、スタジオで(あるいはカラオケボックスで)歌の吹き込みをしようと前々から考えていた。ノートパソコンやオーディオインターフェイス、録音機材類を自宅外に持ち出して録音する経験もしてみたかったし。夕方は空きがなくて結局21時-23時を予約。

21時までになんとか大体の歌詞と曲の展開をでっちあげてスタジオへ。
まずは1トラック目に仮ギターを録音する。歌を録音する時に、イヤホンから仮ギターを流して、それに合わせて歌うから。ボーカルのソースが欲しいだけなので手短に済ます。

歌を録る。
DAW上での波形編集じゃなく、実際に2回歌ってダブリングにするつもりなので、平歌もコーラスも全部2トラック分歌う。ここ何時間かで作ったばかりやから、日本語のアクセントに対応する微妙なメロディの差異に苦労しまくる。しかも依然として3行分くらい歌詞に穴があって、その部分の歌は録音していない。

とりあえずドラムを録る。
オーディオインターフェイスの同時入力数がたったの2つなので、一本目のマイクをバスドラに突っ込み、二本目をスネアにオンマイクでセッティングする。ミキサー使って2ミックスを流し込む程の気力も技量もないし。ドラムの録音自体はめちゃくちゃ楽しかった。ドンドンタンドカドカドンタン

思いきり23時を回ったので店員さんに24時まで延長する旨を伝え、時間ぎりぎりでなんとか残りの歌詞とその部分の歌の録音を終えて帰宅。

アパートで夜中に出来ること、って考えると、スタジオで録った波形の編集だとか、エレキベース、エレキギターのライン録りくらいしかやれることがない。ドラムがあんな録り方やったのに結構カッコ良く聴こえる。なんだかんだで朝7時までかかってようやく寝る。

朝は10時に起きる。集合時間は13時。
もう陽も昇ってるので、マラカス、カウベル、ボンゴ、 ギロと、持ってる楽器を総動員してブガルーになれ!なれ!と祈りながら録る。間奏とかアウトロ寂しい、と思ってギリギリに適当な鍵盤を入れようと思い、一時間遅刻する。

で、出来たのがこの曲。相変わらずスパムサイトからしかアクセスがないのでちっとも恥ずかしくない。


今回もまるで違う3曲が集まってめちゃくちゃおもろかった。みんなの思考回路の違いが音になってた。ブガルーじゃないじゃん、とつっこまれつつも、誰かがスマップみたいやな、と言ってたのが一番嬉しかったなぁ。言いたくないことやりたくないこと何一つやらず好きなことやってスマップならほんま最高って感じ。歌のバックグラウンドは90年代と多摩あたり。ビール飲んでたらおれに会ったよ、という歌。



2012年4月20日金曜日

第二回作曲家クラブ迫る

次の日曜日すなわち明後日、作曲家クラブ第二回品評会がある。今回のお題はブガルーだった。

第一回品評会の時に今回のお題が発表された直後、ジェットセットでブガルーのレコード買ったりして、今回からは時間かけてちゃんとやるつもりやったのに結局この体たらく。レコードだけは買ったけど。聴いてたけど。曲作ってへんがな。今日夜中までバイトやがな。


参考資料はこのレコード。初めてこの享楽的なレコード聴いた時から、曲名は「YOPA-RATTA」にするって決めてる。酔ぱらった。でもそっから何一つ思案を巡らせぬまま今日まで来てしまった。少なくともこのアルバムにおける「ブガルー」は、ギロだとか、主に名前もわからぬラテン打楽器といったリズム隊に定義されているんかな~、とぼんやり感じていたので、とりあえず曲と歌詞からやっつけねばならぬ、と今日のお昼に決意。後手後手だァ


ギターを持ってあれこれ考えてたけど、スリーコード、ブルース進行でええんか?それで満足か?っていう欲をかいてしまい、とっかかりのコード循環がブガルーから遠ざかってしまった。
ⅣM7→Ⅲm7→Ⅵm→Ⅰ7って感じのやつ。書き方合ってるのかわからんけど、ドリカムの「決戦は金曜日」とかで循環してる例の進行。普段は全く縁が無い。しかしながら窮地に立たされた今日、ギターを触ってたらこれが出てきた、ってことは、そういうことなんだろう。と思い込み、これで行くことにする。

さて、どんな曲に?とりあえず「酔ぱらった」という享楽性は残したい。ビールビール!発泡酒発泡酒!と志すものの、コード循環がメロウ過ぎて徐々に切なさを帯びてきた。やばい。二兎を追ってニワトリ捕まえてしまうあの感じや。でもそれって曲作りの醍醐味やと思う。ギターとか言葉に引っぱられて、作り初めには予想もしなかったような所に連れて行かれる感じ。それを歌い手のキャラクターや音楽ジャンルに合わないとかで排除してしまうのは本当は不幸なことなんじゃないの。それだって間違いなく自分の蓄積から出てきたものなんやしね。この企画、作曲家クラブでの自分は恥も外聞もないから、やっちまうのだ。

と、いうわけで、児童公園でビール飲んでたらおれに会ったよ、という風な曲のゲシュタルトが朧気に浮かんできたのが16時くらい。どうなることやら。ベティにご飯あげたり部屋の片付けしてたらバイトの時間。




ママチャリ改造(パート1.5)

細かい変更も書いていこう。

早く替えを見つけないと近々ベロンといきそうやったカゴ【写真1】、良いのが見つかった。町の自転車屋に行っても気に入る感じのが全然ないので、ヤフオクを探してみると300円で出てた。だっさい新品のカゴが大体2000円くらいって考えると送料500円掛かってもまだ安い。ミヤタの80年代?頃のやつ【写真2】。いつ使うのか、ガルウイングみたいにカゴが開く【写真3】。かっこいいわ。

【写真1】

【写真2】
【写真3】
ただ、カゴの深さが若干浅くなったから、元の22インチのカゴ足ではカゴに届かず、近所の自転車屋さんで恐らく24インチ用のカゴ足【写真4】を買うことになってしまった。1000円。かっこええから全然大丈夫。以前のカゴよりもワイヤーも太くなって、たゆみも少ない。ギター載っけても全然へこたれそうにない。
【写真4】
もっと些細なことも。
両足スタンドのバネを失くしてしまってた。大したことちゃうやろ~って思うけど、バネなしでスタンドを立てようとすると、最初に足で「ガチャン」とする部分(名前わからん)が、勝手にスタンドをロックする方に入ってしまい、片足だけでスタンドを立てるのが困難になってしまって、駐輪場などで毎回ほんの少し不快な思いをする。ホームセンターの自転車パーツ売り場で、両足スタンド用交換バネとして198円で売ってたので買って付けた【写真5】。バネが強力過ぎて装着にめちゃくちゃ苦労したけど、やっぱ随分違う。ワンアクションスタンド。
【写真5】
で、ダイアコンペ製のメタルリンクブレーキ、デュアルピボットブレーキが届いた【写真6】。
こちらもヤフオクで、同一出品者だったから送料込みで3500円。自転車屋さん見つけるたびに聞いて回ってたけど、どこにも置いてなかったし、定価よりか安く買えたしまあいいや。はやく取り付けたい。
【写真6】










2012年4月17日火曜日

また何もやらないつもり?

大事な場所が失くなるかもしれない。当事者たちの意思を無視して。今朝、噂レベルじゃなく、ほぼ公式にアナウンスされた一つのニュース。ただその場所を失うかもしれないってことだけじゃなく、この世界を取り巻いてる色んな落胆をひとまとめにプレゼントされたような感じがする。

まず、「場所」それ自体について。

もちろんその「場所」はまだ残ってるし、その場所を取り巻く人々が現出させてきた/させる<場>も残ってる。自分はその「場所」のいでたち、外からの見た目に魅了されてその場所に近寄っていって、次第に当事者のひとりとなった。それくらい、その「場所」そのものへの愛着はある。でも、きっと「場所」はただの入れ物に過ぎない。むしろ、これまでその場所をその「場所」たらしめた、人々や人々の営みのあり方といった「中身」=<場>が残るかってところが肝だと思う。<場>が途切れさえしなければ「場所」はつくれる。いまある「場所」だって、「○○のための場所」として用意され与えられたものではなかった。人々に語らいや思いつきや閃きをもたらした<場>の存在が、いまある「場所」の場所性・唯一性・代替不可能性を、長い長い時間の中でつくり上げてきたのだ。でもやっぱり、そんな<場>を醸成する入れ物としての「場所」に、物理的、空間的、時間的な断絶が与える影響がどれほどのものなのか、全然想像出来ない。

「決定」のあり方について。

今朝の知らせにはもっと嫌なとこがあった。その場所のあり方について、これまでずーっと、当事者と権力側との間に話し合いが持たれてきた。当事者、権力側双方が納得合意の上で従うべき大原則として、話し合いの原則があったから。でも、今朝の知らせには、権力側の話し合いの拒否、物理的暴力装置を用いた強制排除の意向が記されていた。もしその通りになってしまったら、これまで面倒臭さや非合理性に手を焼きながらもなんとかやってきた(直接)民主主義に最低最悪の汚点を作るんじゃないのか。

「自分の意思を無視して下された決定に、結局は従わされる」という決定のプロセス、この世界に生まれて以来、徹底的に叩き込まれ、常日頃「しょうがない」と納得し、それが不正だという感情さえ発露することなく、とっくに諦めてしまっている。「選挙で選ばれた為政者によるものだから仕方ない、民主主義ですもん」みたいな論理によって正当化され、ため息ついて終わり。

一握りの権力者に不都合な不平不満を黙らせるためのロジックとしてしか民主主義は機能してないんじゃない?彼らに拳銃や暴力を預けてしまったこととか、誰かに票を投じて多数決で問題ナシ、みたいな民主主義のあり方って、常に猛省が必要なくらい合理最優先で大雑把な仕組みやったんやと思う。

そんな世界で毎日暮らしながら、ふとあの「場所」の空気を吸うたび、ハッとしてピリッとする。本当に最後の砦だとか思えてくる。あの「場所」が失くなってしまったら、<場>が損なわれてしまったら、目先の暮らしに精一杯な自分は、そのピリッとする感じを忘れてしまうんじゃないか、と思う。自分の中にある民主主義の理想はそれくらい脆い。

最後に自分のはなし。

こういうでっかい不正に対峙したとき、自分はどうすればいいのか。ほんまに諦めっぱなし、不戦敗だらけの世界に慣らされ過ぎて、体なんか全く動かない。豚ってこういうことか。原発の時もそう。いつだってそう。なんか、その場しのぎのガス抜き方法を上手に見つけてしまって、怒りも悲しみも漂白されてどんどん役立たずになっていく。今回の件が当事者性も含めて、自分にとって大きな出来事になるのは間違いないと思う。権力による愚かな「決定」や「宣言」が、民意によってひっくり返るってところをこの目で見たいし、この手に掴んでみたい。








2012年4月16日月曜日

ママチャリ改造(パート1)

前回諦めたBB(ボトムブラケット)部分の分解に再度挑むのだ。ポイントは、自分のママチャリは「コッタードクランク」だって事と、BB部分は「カップアンドコーン」ってタイプで、恐らく「ワン」と「ロックリング」の二つの部品でBB部分をシェルに固定してる(そしてベアリングの球当たり調整も担ってる)って事。よし。



1.コッターピンを抜く

下調べ(銀輪茶輪というサイトのこの記事、めちゃくちゃ参考になりました)通り、「コッターピンの頭より径の大きい円筒」と「万力」を用いて、コッターピンを抜く。前回はここで躓いて何も出来なかったのだ。【写真1】にあるように、まずは打ち込まれたコッターピンを固定している六角ナットを、外れてしまわない程度のところまで緩める。適当に用意した「大径の円筒」を、【写真2】のようにコッターピンの頭のとこにすっぽり被せる。この円筒、万力に負けへんくらいの強度がないとまずい。でも強度なんて確認しようがないや、と早速万力をぎりぎりと締める。

【写真1】
コッターピンのナットをちょっと緩めたところ。
下に写っている大径の円筒を・・・
【写真2】
コッターピンの頭の方(ナットとは逆の側)にかまして
万力で締めりゃポンッと抜けるって算段


【写真3】のように、だんだんとピンの姿が見えきたけど、なかなかポンッと抜けてくれない。うわぁと思いながら結局ナットも外してしまって、さらに万力を締めるも尚抜けない。【写真4】に見られるように、もうネジの側が全部穴の中に入ってしまった。ピンは依然としてカチコチ。

【写真3】ピンの頭が出て来たけど

【写真4】
ピンではなく算段が外れる。
 もう万力も使えんよ
まずいなぁと思いつつ、一か八かクレ556を噴射しながら、ペンチでぐりぐりやってると抜けた【写真5】。で、【写真6】が刺さってたコッターピン。このクサビ形のピンを【写真7】の穴に打ち込み、後ろ側に突き出したネジを六角ナットで締めることで、クランクシャフトとペダルクランクは固定されるってことなんかな。
【写真5】
結局最後はペンチで抜いた。 
【写真6】
コッターピン。ほんまにクザビ形してる
【写真7】ピンの居た穴



2.ロックリングと左ワンを外す

下調べ(ネットに色んな情報を残してくれた人たちに感謝)の通り、まずは「フックレンチ」を用いて「ロックリング」を外し、「カニ目レンチ」を用いて「左ワン」を外したい。【写真8】みたいにフックレンチをロックリングの凹部分に引っ掛けて、ハンマーでどつく。案外スルっと外れた【写真9】。
【写真8】
フックレンチをロックリングの凹に引っ掛けたところ
【写真9】
ロックリングは簡単に外れた。
あかんやろ
じゃあ左ワンいきますか、と。もうこの時点で嫌な予感しかない。カニ目レンチを見つけるも、パッと見、左ワンの凹部分【写真10】に全く合ってない。実際にあてがってみたけどやっぱり全く合ってない。それっぽい工具【写真11】を見つけてくるも、どれ一つとして左ワンには合わない。

【写真10】
いよいよ左ワンを外したい。
でもカニ目レンチじゃ無理じゃないのかこれ
【写真11】
これら(名前がわからない)のどれひとつとして一致しない
ああ、また諦めんのか、おれは駄目な奴や、とか思いながら再びロックリングを戻し、締めにかかる。そういやここの締め具合って結構大事なんやんな~、とロックリングに目をやると、左ワンが一緒に回ってる。そのこと自体の是非はひとまず置いといて、この左ワン手でも回せるんちゃうか、という希望に胸踊る。再びロックリングを外し、左ワンを手で回して見ると、回った【写真12】。なんと。
【写真12】
手で回してみると回った。
あかんやろ
今しかねぇって気分で左ワンをクルクルと回す。しばらくするとゴトン、と左ワンは外れた。同時にベアリングの球がコトコトと下に落ちる。慌てて回収しながら、汚さに唖然とする【写真13~14】。事前にネットで見ていたどれよりも汚く感じた。チャリこいでてカリカリ言ったり、稀にバキッて言う割りに、左ワン側のベアリングに大きな欠けとか割れは無いように見える。右がえらいことなってるんかな。
【写真13】
 左ワンとベアリングの球たち。
でっかいゴミも一緒に出てきた


【写真14】
左ワンの内側。
終わってるなァ
でも時間的にも気分的にも右ワンまで外せそうにないので、左ワンを外して開いた穴から写真を撮ってみて、右ワン内側の様子を伺う【写真15】。予想通りの感じ。ベアリングの球と球の隙間、なんやねん。間隔もランダムやし。
【写真15】
The錆って感じの色合い。
終わってるなァ




3.左ワンを再装着
素人目にも最悪の状況下で走っていた、と確認できたところで、そろそろ左ワンを戻そうと思う。左ワンとベアリングをパーツクリーナーで綺麗にして、たっぷりグリスを差した左ワンの球受け部分にベアリングを敷き詰める。一個余る【写真16】。うっわぁ。左ワン外してクランクシャフトがグラグラになったとき、右ワンのベアリングが左側まで落ちてきたんかな、などと推察する。元からBBシェルの中で遊んでた、とかは勘弁して欲しい。
【写真16】
一個余るの図。
この一球を適当に右に詰めるのも恐ろしいし、ひとまずズボンのポケットに入れて左ワンを戻す。そういえば専用工具も結局見つかってないのでやはり手でクルクル回して戻す。これ、ベアリングとクランクシャフトの球当たりを決定してしまう重要な場面で、ネットでの下調べの際、「良い」とされる球当たりには絶妙のヌルヌル感 がある、みたいな記述を見た。当然そんなもん素人には分からんので、ちょいちょいクランクシャフトを回転させながら、こんなもん?こんなもん?って感じのところで止める。再びロックリングを嵌めて、ペダルクランクをコッターピンで固定して終わり【写真17】。
【写真17】
「ヌルヌル感」とやらを
語感だけを頼りに締める
左ワンを外しにかかる直前の写真【写真8】と、分解後再度装着した後の写真【写真17】を見比べると、以前より左ワンを深くねじ込んでいることが分かる。気付いたの今やけど。大丈夫か

やる前から予想してた通り、予想外のことがたくさんあった。結局左ワンは何使って着脱するねん、とか、ベアリング一個余った、とか、随分と左ワン埋まってるけど大丈夫か、とか。最初やしまあこんなもんやと思う。次は右ワンも外して、BBとBBシェル部分を徹底的に綺麗にしたいです。

と、そんな気分で、特別はしゃぐ感じもなく自転車に跨った瞬間、修理前までとの違いに驚いた。以前はペダルからタイヤに力が伝わるまで、ひと漕ぎ毎にカクッ、カクッという、謎の休符を挟んでいた。とっくに慣れてたけど。そしてペダルクランク自体にもすごい遊びがあって、目に見える部分のネジは全部締まってるのに、手で触って見るとグラグラしてた。それらが綺麗になくなって、ひと漕ぎひと漕ぎの「力、伝わってます。」感がすごい。

もちろん右ワンの方は糞味噌のままなので、早く分解して綺麗にしないと。ベアリングも足らんし。たぶん今の状態って、左側のベアリングだけでクランク部分全部支えてるってことやもんね?

でもやっぱり漕いでて気分が良い。かおるさんとかおるさんの友達とで木屋町の路地にある大豊というラーメン屋まで行った【写真18】。全く脈絡はないが、油まみれになった後のビール餃子ラーメン、最高に美味いと思う。自転車だけでなくラーメン界も素人やけど、スープもチャーシューも美味しすぎてご飯全然足りないくらいだったというのは確か。
【写真18】
今まで入った事のない路地にあった。
ほんまに美味しかった