2012年5月31日木曜日

中古レコードの効能

ゆうべツイッターで「 #想い出のレコード店を語って自慢しよう」っていうハッシュタグがすんごい盛り上がっていた。基本的にはもう店をたたんでしまったレコード屋さんにまつわる想い出で、ツイッター人口の多さからか東京の話が多かったけど、読んでるだけで今すぐレコ屋に行きたくなるような話だらけだった。

レコード屋さん(中古レコ屋)って不思議やなーと思う。産業分類としては「中分類60-その他の小売業」になるんやろか。中古品やし、日本レコード協会の言う音楽産業市場だとか、あれこれのランキングだとかの数字には含まれてないはず。大きな動向とは無縁の物静かな場所。とはいえ、音楽の深みにはまるにつれ、中古レコード(や中古CD)から探すって選択肢は必然的に増えるやろうし、いま音を出してる音楽家たちが「新譜だけディグしてます!」ってのも考え難い。中古レコードが音楽を回してると平気で思える。

アマゾンは?ヤフオクは?って話になるけど、何故か自分はそのどちらもあまり使ってない。なんでやろ?ビニールジャンキー(蒐集家)たちのインタビューとか読んでても、欲しいものは手に入れる!と割り切って積極的に使ってるっぽい。でも思えば自分は、アレとコレを探してて、幾らまでなら出せる、みたいな感覚ではレコードを買ってないのかもしらん。これまでの暮らしの中であっちこっちからツマミ食いで仕入れた、何とはない情報の堆積(そしてそれらは全く体系化されてない)が自分の中にあって、レコ屋ではいつも膨大なレコードをめくりながら、ピンとくるやつが引っ掛かるのを待ってるという感じ。メディア論でプッシュ型/プル型って話があるけど、レコード買いにも当てはまる気がする。「おれはこれが欲しいねや」ってアマゾンとかヤフオクで決め打ちする「プル型」、何の身構えもなくレコ屋に行き、めくられてくるレコジャケ(遠い過去からの見当外れのプレゼン)の中から、自分に引っ掛かる一枚を待つ「プッシュ型」。どっちかに完全に分類出来るってことではないけど。

当然、昔のニューオリンズ音楽聴いてみたいなって気分の時に、数年来気に懸けてたガレージのコンピと出くわしてしまう(そして買って帰ってしまう)ような事が多々あって、それは普通の買い物で例えるなら歯ブラシ買いに出てペンキ買って帰るくらいの違いがあるんやけど、だからこそ、到底繋がりそうに無かった思考回路のミッシングリンクになったりする。あぁ、ほな、お歯黒にしよか、みたいな。

そんなこんなで、これからもレコード屋さんに足を運んでノンキな迷子になりたいぜと思った次第。

2012年5月21日月曜日

録音できるかな

昼勤でも暇なら書ける。

結局買ってしまったDAWソフト。土曜の夜に松ちゃんの学生証借りて買った。ソナーのX1というやつ。エッセンシャル版というやつ。


この前まで使ってた昔のソナーとはUIも全然変わってしまって、この際キューベースでもいいかと思ったけど、きっと細かいとこは受け継がれてるでしょと思ってソナーにしておいた。プロツールスは相変わらず素直にVST使えないってことで選択肢から外れてしまった。

あれこれのインストールとかオーソライズとかオーディオデバイスの変更だとかも、初めてパソコン触ったときよりだいぶ手っ取り早く済んでよかった。なんであんなに大変やったんやろ。

今晩は8時からいつもの練習場所でバンドのドラム録音。大好きな練習場所固有のリバーブ感を、幽霊を捕まえるみたいにマイクで捕獲したいのだ。

具体的にはバスとスネアにオンマイクで1本ずつ。これはあとでコンプで潰すやつ。ほんでトップに1本か2本。左から右に流れるフィルインなんかに余り必要性を感じないから1本で十分かも。というかドラム自体、完全にセンター定位か右or左に振り切ってもいいぐらい。で、アンビ用のマイクをどこかに一本。これは絶対に。あとで好きな分量だけ混ぜる。和歌山の友達が教えてくれた。どんな感じになるでしょう?あそこでマイク立てるの初めてやから絶対失敗するけど。おまけにドラマーの人と録音の方向性全然話せてないけど。





2012年5月17日木曜日

今日はトキオの日

夜勤2連勤2日目。掛け持ちのバイトも累計したら10連勤の8日目やった。なんかアホの子みたいや。どれも楽or楽しいからいいけどさあ。

今日は12時に起きて、新しいパソコンへのアイチューンズ移し替えに見事失敗した。おおむね全部のファイルをゴミ箱でクシュっとやってしまった。60ギガぶん。アートワークとかプレイリストは移行出来てたから油断してた。トキオのデビューシングルがぽつんと残ってて泣ける。久々に聴くとやっぱ最高
なんでこんな良い曲をこんな服装で歌ったのか。舞台上の文脈から切り離されてしまったステージ衣装は恐ろしい。ユーチューブなんかで普通になったこの手の断片化と親和性のない文脈への投げ込みは、何かをやろうとする自分にも何らかの形で内面化されてると思う。引いて見るクセがついてしまった。

で、バイトまで時間あったからアイホンを復活させに行った。年末に落として半年ぶりに。うわ-今日パソコンと携帯のことばかり考えてる。退屈な水曜日

2012年5月16日水曜日

パソコンが来た(純日記)

パソコンが来た。デスクトップのやつ。
先週、7年くらい使ってたノートパソコンが遂に壊れて、貧乏性かつ貧乏な自分にはありえんような迅速さで新しいやつをポチっとやってしまった(無論月賦で)。今日は朝からそれのあれこれで夕方まで掛かってしまってからのバイト。


気がかりなのは4年位前に買ってノートに入れてたDAWソフトのオーソライズがうまいこといくんかどうか。初回登録の時は海外のサイトをたらい回しにされた記憶がある。これが出来んとまたDAWソフト買わされるはめになる。ちょうどバンドで録音をしようとしてて、きっと練習場所とアパートをデータが行ったり来たりすることになるから、厄介なトラブルはごめんだよー。

録音について。
月曜の練習で、マイク何本か立てて録ってみましょって感じで、録音してみた。敢えて単純に自覚的に、いわゆるバンドのデモ音源とかにありがちな、ライブそのまま再現って感じの演奏を録った。オケの一発録りというやつ。歌ってないと演奏に余裕が出るし、オンマイクで録音された自分のギターの音が結構気持ち良くて嬉しくなったりした。当初の目的は、誰かに配るための音源を作ることだったから、このやり方でもええかなとは思うけど、やっぱりライブそのまま再現の演奏を録音するのは良くないのかも。

ライブでの音楽は、目の前で人間が演ってる分、良くも悪くも「音」以外の要素の補正を受けるように思う。良いほうに転ぶと、バンドの雰囲気とか饒舌なMCとか舞台上のアクションで駄曲もアンセムっぽくなったりする。悪い方はというと、そっちも同様に、属人的要素とか視覚情報が音楽的評価に還元されて、音楽が耳を素通りしちゃったりする。音以外の要素から音楽を評価する(ロックは生き方やろ、とか。きらいやけど)見方は歴然とあるし、自分だって好きなマンガをコラージュしてライブのチラシ作ったりしてるのはそういうこと(コラージュされる絵と実際に鳴らされる音の違和感を楽しんでる)なのかもしれない。でも、でも、じゃあ、じゃあ、ステージ映えのしないおれたちに何が出来るかっていうと音に物語を託すしかないんじゃないの。フェンダーのアンプからジャーンと鳴ったコードに含まれる情報とか、コンプ掛かったスネアの音に含まれる情報とか、そんな、記号として分化される以前の、意味の一歩手前のかけらを拾い集めて、好きなもの何から何までいっしょくたに音盤に詰め込めたら最高だと思う。異なる時系列の矛盾なき共存。そんなんがやりたい。


フェイスブック、わからん。在学中には恐らく喋ったことのない人からも申請が来ることに驚いた。そういうもんなんやな、とは思うものの、自分の発言がトモダチのメイン(?)のページに表示されるんかどうかとか、よく分からんから申請はおろか未だに何も書けてない。けど驚くほどみんな手を出してた。キミもか!基本的にはイケてることを載せてくっていうノリなんかなあ。自分も何らかの形でイケてみたい。

2012年5月12日土曜日

珈琲と演奏

ゆうべは3ヶ月ぶりにファンダンゴで演奏した。

もう阪急乗るぐらいのところから風が気持ちいい日だったし、改札抜けたときの十三の町の顔もすごい良かった。ようこそ!って言われた感じがした。はよ着いて楽器置いて喫茶店行って折り込みのビラを描いて、ってだけでもめちゃんこ楽しい。知らん町に好みの感じの喫茶店があると、たとえば心がざわついていてもコーヒー一杯で落ち着けるから本当に善い。「好きな感じの喫茶店」のぼんやりとした統一性と、コーヒーっていう飲み物の同一性とを媒介にして、自分がいちばん平和に過ごした時間とすぐに繋がる。昨日みたいに最初っから気分の良い日は、ただただ最高。

ファンダンゴはフェンダーのアンプがあって、エフェクター持ってない自分には嬉しい。アン直で素敵な音が出るし、それはつまりギターケースだけ持っていけば大丈夫ということ。でもリハーサルは相変わらず難しい。コンクリ打ちっぱなしで音が回るんだそうな。前回同様ボーカルと歌詞を最優先で!ってな感じでアンプの出音は控えめ、PAさんにもお願いしたんやけど、やはり初見の人には歌詞までは聴こえ辛かったみたい。後で分かったこと。

演奏自体は、これで箸にも棒にも掛からないなら致し方なし、って演奏が出来たと思う。いや、相変わらずカラオケみたいな歌声やしライブ全体の運び方とか喋りとかは全然芋やけど。観てる人を困った気分にさせるような失敗はなかったと思う。我々の普段からの練習あっての演奏ではあるんやけど、実は家出て会場着くまでの天気とか、喫茶店で飲んだコーヒーとか、出番前に共演者の人と交わした何気ない言葉とか、そういう当日の些細な出来事も多分に影響してるってやっぱり思う。自分たちのひとつ前の出番だった弾き語りの人が素晴らしく良くて、心の戸を全開にしてくれた。全部分かった上で、それでもなお全力でやるってことが大事やねんってところをばっちり受け取って、自分たちの出番に臨んだ。あんな風に直前の出演者の人の演奏に即時的に影響されて、それが自分の演奏に反映されるっていうのはライブハウスならではと思う。終演後見ず知らずのお客さんたちからもらった好意的な感想は本当に嬉しい。

自分たちの次の出番の弾き語りの人も素晴らしくて、最後の最後、店閉めますんで~って時にちゃんと感想を伝えられてよかった。やはり歌と言葉は強い。

中学からの同級生で高校時代一緒にバンドやってた友達が、超多忙だというのに偶然暇ってことで観にきてくれて、久々のお喋りもめちゃ楽しかった。おまけにバンド友達も連れて来てくれて、嬉しくなってみんなにビール奢ってしまった。終演後も色んな町でバンドやってる色んな人たちの話が繋がっていって、すごい素敵な時間だった。

で、そんな楽しいお喋りのひとときにフェイスブックの話になって、今さっきバイト先のパソコンでアカウント取った次第。軽い気持で手を出したら、10年以上振りに見かける顔ぶれがヒットしまくって、にわかに汗ばんでしまった。向いてないかもしれない。

2012年5月8日火曜日

ひっくり返せる、を見るということ

昼勤が増えてぜんぜん書けていない昨今。

「場所」は残ったし、権力者の愚かな決定は人々にひっくり返された。4月23日は最高の夜だった。この世界を取り巻くありとあらゆる決定、常日頃から自分を規制し、ともすれば被抑圧の自覚さえも起こらない決定決定決定決定。そんな馬鹿げた決定のひとつを下した(「この場所の取り壊しを決定しました」って言ってきた)やつらの目の前で、馬鹿げてる、おかしい、取り下げろ、って人々の声が飛び交うってことの圧倒的な当たり前さ!自分はというと、持ち前の引っ込み思案を活かして会場後方で9時間ずっと腕組みしてただけやけども、もう心の中では「そのとーり!」ってずっと絶叫してた。誰にも見えないところで決定は決定されて、それに異議申し立てする有効な手段なんて無いって思い込んでしまうような、あべこべの世界に暮らしてる自分にはこんなに当たり前のことが凄いことに思えてしまう。あの夜に立ち会ったことは自分の中に生き続けるやろうし、この世界のあべこべにちゃんと「いやや」って思えると思う。思い出せ。これがほんまやろ、このやり方がいいんやって昔っから分かってたやろ、思い出せ、って。

その時の実況まとめ。これをじっくり読むよりも、やっぱりあの場に居合わせた方がガツンと身体にくると思う。ひっくり返せる、を見るということ。




じゃあ、食堂でお祭り騒ぎをやろうってことになり、5月4日、5日、6日とライブとか演劇とか壁面のペイントとか、美味いご飯とか、お祭り騒ぎをやった。全部の原発が止まったっていう流れとも合流して、わいわいした良い3日間だった。

個人的にも、バンドの鍵盤奏者が参加できなくなってしまって急遽3人組で出演したり、PAのことをちょっと教えてもらって恐る恐る卓を触ったりと、ドタバタしつつも、ちゃんと成立してそこに立ち現われた「祭」に、やっぱりすげぇなぁ、と思ったりした。4月の終わり頃には、どうなることやら全然わからんかったのに。

スタートメニューにブラインドで辿り着けるのでしょうか
今朝自宅のパソコンが大変な感じになってた。数年前から画面の最前面にカラフルなストライプ出て綺麗な~とか思ってたけど、今朝立ち上げたら左半分が深緑に塗り潰されちゃってた。どうしよう。