2012年3月30日金曜日

祭の準備(パート3)

あかん眠い何も考える気にならへん。でも書かねばならん。今日は朝起きて片想い聴きまくってパンフ中面書いて昼から6時間練習してからのバイト。片想いのシングル盤、B面曲も相当良かった。テンポ早めのエイトビートに、フォーキーなコードの割り振り。ダブルオーテレサのアルバム「ダブルオーテレサ」聴いてるときに「あっ」って思った感じが再び来た。そういやバイト先に自前の弁当持参する以前、毎回バイト先に買ってってたパンやらおにぎりやらを3回分我慢したらちょうど7インチの新譜一枚分か~、とぼんやり思う。いっぱいシングル盤聴きたい。しかしほんまに眠い。

最近読んでた本の感想を。
「1984」
村上春樹じゃない方。まだ300ページくらいで、いま主人公(名前忘れた)が党に捕まってえげつない拷問受けながら、しかし次第に党への奇妙な忠誠心が芽生えてくるあたり。めたんこおもしろい。「二重思考」ってもしかしたら自分たちが何かを了解するときとか納得する時、普段から普通にやってるかもしれん、と思った。例えば、過去。仮に過去に誰かとケンカ別れしたとして、その「ケンカ別れ」の物語をどう編むのかは、それを歴史として編む(思い出す)主体に拠るところが大きいんじゃないか?そしてその時の主体のありよう次第では、ケンカ相手だとかケンカに至る経緯の表象に、「まるで別の出来事」くらいの差が出るんじゃないのか――しかもそれが他者不在の独白である(=了解とか納得ってそういうもんでしょ?)限りにおいては、そのいずれもが真実という――、とか。3.11以前/以降で「放射能」の性質自体にも、その言葉の意味にも変化は無いはずやのに、自分の中での「放射能」の了解の仕方は以前/以降で絶対違ってきてる、とか。自分のありよう次第で対象はどうとでも解釈可能で、物語になぞらえるならオセアニアが敵国でも同盟国でも、どちらでもあり得る、となる。いろいろな示唆に富む描写が他にもたくさんあったけど何ら思い出せない。

「てんてんこまちが瞬かん速」
終盤、超能力遣いが明かされる手前までがほんまに面白かった。主人公(名前忘れた)の後輩格のバンドに、スワンカデリックていうキラーな曲が出来て、次第にライバルになっていくあたりの心模様の描き方が読みながらうぉおぉて思うくらい良かった。スワンカデリックはきっと架空の曲やけど、仮にその曲が存在したとして実際にそれを聴くより、物語の中でスワンカデリックを読む方がカッコよく聴こえてるはず。ああ、もっとちゃんと面白かったと記したいのに。

「音盤時代 音とことば」、
「音盤時代 音楽の本の本」、
「ラブ・ゼネレーション」、……。

明日も朝はよ起きてパンフ仕上げて掛け持ちのバイト行って夜はいよいよ前日の仕込み。ついにゼナ飲む日が来たんとちがうかこれ。

2012年3月28日水曜日

祭の準備(パート2)

祭まで一週間を切って何となく落ち着きのない暮らし。昨日はスタジオ行ってこそこそカバー曲の練習やって今日は朝から夕方までかかって当日配布パンフのオモテ面を書く。オール手書き、人力中央揃え最高。

で、バイト行きしなにこの曲の7インチを買いに行った。ちょっと前にココナッツディスクのブログで知ってからユーチューブで何回も聴いてたこの曲のレコードが町のレコード屋に並んだのだ。はなから買うもん決めてレコ屋行って新譜のしかも7インチを発売日に買うって、変な感じがする。


LIFEが一等好きなミーハー小沢ファンの自分にはタマランどんぴしゃ。やっぱ名曲は大声で歌いたいもんだよ、もったいぶってメソメソ歌ってんなよ、って気分になる。

2012年3月27日火曜日

祭の準備中

いよいよ祭まで一週間を切ったのだ。
出演者の人たちにギャラが出ないので、ほんの気持ちってことで当日ご飯を作ってくれるお店の御食事券を作って渡すことになった。良いもてなし方やな~。 で、今日これからバイト先のスキャナープリンターエクセルを駆使して御食事券を作って当日パンフの文章とか考えないかんからブログが書けない。


2012年3月23日金曜日

音楽が嫌いとだって言える

さて、何書こかしら。

ゆうべ友達のライブを観に行ったけど、友達のバンド以外の出演者がまるでいかさなくて、しかし会場に付き物の「聴く態度」というコードがなんとなく存在し、人と行ってたこともあって、だらしなく抜け出すことも出来ずにしんどい音楽体験となった。

音楽を好きでいる、とは

「音楽は国境を越える」的言説に象徴される、無邪気で牧歌的なものではないと思う。この手の言説で使用される「音楽」という言葉の運用のあいまいさ(あくまでそいつの思う「音楽」に過ぎない)、そしてそいつの言う「音楽」が、国境や地域文化、歴史といった共時的/通時的な諸制度を易々と越える普遍性を持ってる、とでも言いたげな驕りが見え透いてむかつく。べつに「国境を越える」って言葉だけをあげつらってるんじゃなく、往々にして無前提に「音楽」に込められる思い上がったイメージに違和感を覚える。

たいてい、思い上がりの「音楽」観に基づく物言いには、誰の目にも明らかな悪意は込められていない。だからこそたちが悪いんだと思う。悪意のない行為や発言は、明確な悪意を持つそれらよりも余程抵抗が難しく、断りづらい。行為者/発話者が無自覚なだけでなく、行為された/言われた側の者が「侵害された」自覚すらないままに、相手の論理に取り込まれてしまうようなとこがあるように思う。


今朝読んだ「音盤時代」で湯浅学さんが書いてたけど、「音楽も制度である」(←バイト先なので引用できないけどすごい文章だった)。音楽が全てから自由に存在するわけない。


そんな、「音楽」と称されるものの中から何かを好きになってしまうこと、それを別の言葉で言い表すなら、何らかの価値体系への否応なき参入であり、例えば美/醜や良/悪といった価値観を内面化してしまうことじゃないんだろうか。あらゆる価値体系の束縛から逃れながら、楽曲や演奏家、ジャンルなどに対して何らかの価値判断を下せる、ということはあり得ない。そして価値体系はその名の通り「価値」に基づく体系であるから、優劣、序列といった眼差しから逃れられないように思う。「A」を「良い」と思う視点を有しながら、「Aでないもの」をフラットな視点で見ることなんてできるのか?

つまり何が言いたいのかというと、自分には「好きな音楽」があり、たくさんの楽しみを享受してきたが、同時にそのことが排除してきた嗜好や価値規範が必ずある。また、基本的には自発的に受容するもの、という音楽の性質ゆえ、「好き」性ばかりがフォーカスされることで、「A」を好きでいる時、同時にコインの裏側にある「Aでないもの」への眼差しは隠蔽されている。 音楽が好きな自分は、同時に音楽が嫌いなんである。ゆうべは強烈にそれを思った。

2012年3月22日木曜日

京都の大学生

昨日は卒業式だった。
朧げな記憶辿って学生だった頃を振り返るの巻

なんでこの町にいるのかと思い起こせば、高校生の頃に偶然聴いてしまった村八分、ちぇるしいといった京都生まれの日本語歌唱ロックンロールにすっかりやられてしまったから。さらには騒音寺や初期ははの気まぐれ、首狩族、ドクロズ、ニプリッツとか、自分が高校生だった2002~03年頃活動してた同時代のバンドに、60年代から脈々と続く「京都」っていう土地性(あくまで自分の中での「京都」)が反映されてるような予感がして、とにかく京都ならどこでもいい、って京都の私大に進学した。いま思えば、そんな予感は半分当たって半分外れたけど、くそアホの16~17歳が嗅ぎつけた曖昧な予感の半分が当たってたってだけで十分。ほんまに半分は当たってた。

そんな甘い予感に誘われて引っ越してきた2004年の京都、進学した私大のどこを探しても「京都」は無いように思えた。あらら?とか思いながら夜中に自転車で京都じゅうの路地を走り回ったり、喫茶店にぼんやり座ってみたり、かすかな残り香を探して西部講堂を覗きに行ったり、遊びに行った吉田寮祭では今に繋がる小さな出会いがあったり。でも、日々行き来する自分の大学は、不自然に美化された隙間のない空間でめちゃくちゃ居心地が悪く(建築物は無言にして人を排除出来る)、ほとんど友達もおらず学業にまるで関心のなかった当時の自分は大学に用も無く、次第にまったく行かなくなってしまった。高校の頃の同級生と大阪でバンドを始めたこともあって、平日京都でバイトして週末は大阪で練習して帰ってくる、みたいな暮らしをずっと続けていた。この真空状態の数年間、一人きりで考えたことや読んだ本、聴いたレコードでずいぶん人間変わってしまった様に思う。変わってしまったと同時に、かつての自分がどんな奴だったかをちゃんと覚えてる。それは今も自分の中に居て、まるで理解できない他者と触れ合う時とか、排除や差別の何たるかを考える時とか、色んな場面に現れては「お前もや」と言ってくる。

辞めたろと思ってサボり続けてた大学にもう一回ちゃんと行こうと思ったのは、偶然か、何となく読んでたつもりの本の何冊かが、ぴたりと社会学とリンクし始めたからで、親に平謝りしてごねまくって学籍を残してもらった。この時すでに4回生の終わり。卒業(就職)の為に単位集めるって感じじゃなく、社会学(的なものの見方)への興味から通い始めたので、授業はほんとに面白かった。残り半分の予感が当たってた、というのもここらへんからの話。

だがしかし今日のバイトは案外忙しかったのでもう時間がない。もう書けない。

2012年3月19日月曜日

第一回作曲家クラブ

昨日の作曲家クラブ第一回品評会について

なんとかかんとか間に合った。結局、前日土曜のバイト上がり、夜9時頃から録音を始めて、当日の朝5時頃に無理矢理仕上げた。無理矢理にでも仕上げることこそが最大の目的なので、手応え十分。木曜に曲作りに着手して日曜に録音まで終わらすとか、こんな企画でもなかったら考えられんかった。ふー

第一回のお題は「グラム」。メンバー3人とも見事に曲調が違ってほんまにおもろかった。おのおのが「グラム」っていう単語が何を意味してるのかを解釈し、ひとまとまりの曲に還元し、「グラム」を再現前させる。言うなれば言語記号を使わずに、音そのものに「グラム」を意味させるという、暇潰し有段者の遊び。いや、音楽を志す(金稼ぐとかではない)ってこと自体が人生を費やすに値する壮大な暇つぶし、死ぬまで付き合ってくれる偉大な友人を持つようなものなのだと思う。

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この月例企画、ちゃんと継続させて、サイト作ってまとめようって前々から話していたので、第一回自作曲の録音にまつわるメモを以下に。トラックごとの意図とか記しといた方が身の為になるんかな。

トラック1:リズムギター。PODのツインリバーブ使って、Aメロで映えるようにジャキっとした音に。C-B-Aって下がるリフで開放っぽい音が鳴ってるのは5カポにして弾いてるから。この春からアパートの隣室、下階直下に住人が入って夜中に大声出せなくなったからギリギリでキーをE→Aに変えたのだ。ストゥージズを想って、の割に普通な音で恥ずかしい。

トラック2:リードギター。PODに入ってるマーシャルのコンボタイプを使う。冗談でファズを掛けたこと忘れたまま録音してしまった。時間がなく全トラック2テイクまでで録音止めるって決めてたから気にせず放置。イントロはジョニサンを想って演奏、イントロからAメロに入る直前のフレーズはウェインカウンティのまんまパロディ。

トラック3:ギターソロ。マーシャルのコンボ+昔セコハン屋で買ったフロイドローズ付きのワンハムギターでモットザーフープルにありそうな感じのソロを弾いた。何も考えてないけど、とりあえず1テイクでオッケイてことにする。

トラック4~5:歌。1オクターブ上の不穏なコーラス、みたいなイメージがグラムにあり、且つそんな高度なコーラスが出来るとは到底思わなんだので、エレハモのPOGていうオクターブジェネレータを通して1オクターブ下と1オクターブ上を混ぜて録音。音程がふにゃふにゃな事とかよりも近隣住民の平安を優先し1テイクで終わらす。トラック5は複製したトラック4の波形をほんのちょっとずらしてダブリング効果狙い。

トラック6:ベース。偶然にもバンドのベーシストが楽器持参で遊びに来てたので、ジャズベを借りて録音。ベース用のシュミレータが無いので、PODを適当に触って適当に音決めて適当に録音。多分ゴンゴンゴンゴン…って感じの音にしたかったんやと思う。アドリブ。要所要所のグリッサントくらいしか意識してない。まあええか、と。

トラック7~8:コーラス。トラック7にはAメロ2番で左から聴こえるアアアーンて裏声と、ミッドナイトトゥシックスて言うてる(サビ?Cメロ?)部分で左から聞こえる気色悪いコーラスを録音。ベーシストにも歌ってもらって非常に愉快、自分たちが。トラック8ではまっとうなコーラスでMidnight to sixと歌っている。

トラック9:カウベル。必須と思われた。化粧して腰振りながらカウベルを叩き歌う歌手(デビットヨハンセンか)を想う。さらにショートディレイを掛けてグラム化を図る。ディレイ聴こえてへんけど。

トラック10~11:リズムマシン手打ち。MIDI音源的なやつ持ってないしドラムいらんかな~と思ったけど、唯一出来ることがあった。中3の時に友達が実家に忘れていったZOOMのリズムマシン。劇的にショボい音やし、もちろんそのショボさはRolandのTRみたいなショボさではなく、誰からも望まれない類のショボさ。バスドラとスネアのボタンをドドタドドドタド、って叩いて録音。トラック11には、ハンドクラップと鈴の音なんかを録音。

ミックスはほんまに知識もなく、誠実な適当さで臨んだ。とにかくギターソロでギターしか聴こえへん、くらいの感じにしてやりたかったのでエンベロープを書いたり。フリーVSTのコンプやらディレイやらをいじくったり。

ほい。スパムサイトからしかアクセスないから臆面とかないです。

あと、思ったこと
バンドで演奏するとか、人前で歌うって曲じゃないからか、歌詞がすいすい書けた。2日で、でたらめカタカナ言葉とかじゃなく主題に基づいた言葉を、「ミックジャガーよりたちの悪いやつ」っていう一行に収斂するように書けたってのは意外な発見やった。もちろん綻びはあちこち散見されるけど。夜中に光って明け方消える倒錯者をプリティズのMIDNIGHT TO SIX MANに重ねて、普段は使用厳禁の英語も使ったり。ほんまに楽しい楽しい言うてたら出来上がった。絶対これからも続けたい。

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で、次回。4月に催される第二回作曲家クラブのお題は、会長の一存で「ブーガルー」になりました。非常に遠い。遠すぎるのでまずウィキペディア。
ブーガルー(Boogaloo, Bugalu)は、1965年から1970年ごろにかけて主にニューヨークで流行したラテン音楽の一種。リズム・アンド・ブルース、ソウル、ロックンロールなどの米国のポップミュージックとキューバ〜カリブ系のラテン音楽が混合されたサウンドが特徴。
渚よう子のブガルーベイビーていう曲名でしか目にした事が無いので途方に暮れてたけど、3コードをもとに作れそう。問題はブガルーだけが持つであろう、固有の「感じ」を自分は全く知らないので、締切りまでにレコード聴くなりして、何とかその「感じ」を掴むこと。そして自分の手の届く楽器たちでその「感じ」を録音し、「ブガルー」を再現前させること。かなり難題やけど、また楽しくやれたらなぁと思う。

あ、そういや明日は卒業式や。

2012年3月15日木曜日

第一回作曲家クラブ迫る

やっばい。バイト先の先輩と企てた月例企画、作曲家同盟の第一回品評会が次の日曜やった。月一回お題と締切り日を設け、各個人曲作りから録音までの完パケを目指す、というもの。音楽を志しながら曲作りの遅さを嘆いていた自分と、同じく音楽を志すバイト先の先輩とで昨年末に話が盛り上がり、もうひとりの友達(バイト先の元同僚)にも声を掛け、いよいよ第一回の締切りが明々後日3月18日の日曜日なんである。

なんもやってないと気付いたのが今日の14時。マズすぎる。こういうのはミニコミとかと一緒で、友達とわいわい企画して1~2回やって自然消滅っていうのが一番痛い。てか自然消滅どころか一回目やんか。今回のお題は「グラム」。近すぎる。前のバンドのテーマはグラム化したストーンズにカントリーの風を吹き込む(適当言うてるけどだいたい合ってる)みたいなとこやったから絶妙に着手し辛いなぁとか、とにかく後まわし後まわしにしてる間に今日の14時になってしまった。

棄権(=企画おじゃん)だけは避けねばならんので、でっち上げでもなんでもよいのでギターを弾き曲を考える。同時に歌詞も。ドールズのジョニサンっぽいイントロ、ストゥージズっぽいAメロに決める。イントロがべらぼうにかっこええので、その進行に歌を乗せてBメロかCメロにすることに決める。歌詞もでっち上げなあかんので、(真面目に)曲名を「おかまのロックンロールバンド」に決める。なんか地方都市の自主盤に入ってそうな感じ。これ入ってたらアタリやけど。映画のヘドウィグみたいなほんまもんの越境性まで歌詞に入れられたら良いけど、たぶん間に合わへん。

そうこうしてるうちにバイトの時間が迫り、構成も考えてないので録音には全く手を付けないまま家を出る。自ずと宅録がメインになりそうなこの企画、打楽器は打ち込みになるんやろうけど、音源持ってないし今からフリー素材漁る根性もない。どうしよう。グラムの曲でドラムがないって結構致命的や。どうしよう。ベースも持ってへん。どうしよう。とにかくやるっかない。


この企画、お題(今回は音楽ジャンル)がランダムに設定されるので、それが自分の経由してきた音楽ジャンルとは限らない。それが自分からどんなに遠かろうとも、ユーチューブなりレコ屋の視聴なりを駆使して、その音のエッセンスを解釈し抽出し、曲を作り録音しなくちゃならない。当然出来上がりはとんでもなくオブスキュアな1曲になるに違いないけど、きっと今までの自分の手癖では絶対に使わないメロディーやリズム、楽器、録音方法を試すことになるはず。あと、これまで1曲を何ヶ月間もこねくり回して、自己満足した時点でようやく完成って感じだった自分にとって、締切りまでに絶対仕上げるっていう作り方はまるで未経験。いまバンドで歌ってる数少ない自作曲みたいに、何回も歌える強度のある曲がいきなり生まれるとは全然考えてないし、ここで作った曲をバンドに持ち込むなんてことも早々ないと思う。でも、ここで使うことになる作曲の思考回路はバンドの曲作りにも影響すると思うし、ちょっとの発想転換でもうちょいマシに曲が作れるんじゃないかっていつも思ってたから、楽しみ。


無関心を装うのかぇ

政治的態度の表明について。
何かをやってる人(対マスに表現活動を行う自律した個人、とかか?)は政治的態度を表明すべきなのか。大友さんが文科省の芸術選奨を受賞すべき/辞退すべきっていうネット上の言論を見て(大友さんも文科省もまるで知らんけど)、収拾つかんでもいいから考えてみようと思った。

自分の好きなミュージシャンの中には、政治的態度の表明がアイデンティティに還元され、ミュージシャン自身の評価に直結してる人がたくさん存在する。バンド自体が反○○を目指しているような場合もあれば、特定の曲にメッセージを託してる場合もあるし、ティーシャツにNO NUKESて書いてるだけの歌手(本業じゃ間に合わんかったのか?)とかも表明といえば表明やと思う。自分のこういう物言い(政治的態度の有無でミュージシャンを分別、カテゴライズしてしまう聴衆の態度)に象徴的に見て取れるけど、すでに「政治的であること」は表現活動を行う者すべてに包括的に要請されるものではなく、他の態度と並列するひとつのスタイルになってしまったんじゃないか思える。例えて換言するなら、いま、ある音楽家が原発への意思表示を一切怠り続けたとしても、その沈黙は批判対象とはならず、彼の音楽家としての矜持はこれまで通り保たれるんじゃないか。

自分が音楽に親しみ始めたのがちょうど2000年くらい。同時代の具体的な政治的局面を主題に据えた歌やミュージシャンの態度が、当時中学生の自分にまで届くことはなかった。確かブルーハーツのチェルノブイリを聴いたのが初めての“プロテストソング”体験やったと思う。短絡思考の中学生には、パンクだとかロックがまとう破滅的・退廃的・非持続的etc...な表象と、反戦平和の称揚や政治的・社会的意思の表明が矛盾と映ったのか、直感的に「変なの」って思った。同時に、メジャー会社から発売できず自主販売したとかいうセンセーショナルで魅力的な伝説に、ポップにおける「政治的メッセージ」の効果を内面化したりした。自分が音楽に親しみ始めた2000年、「政治的であること」は、聴衆レベルではひとつのオプションとしてとっくに外化されていたと思う。

とはいえ、中学生の時に抱いた「変なの」って気持ち、本当に安直な思考による誤りだったのか?ステレオタイプな(古き良き、ちゃんと政治的意思を表明していた頃の)ロック、ロッカーって、大抵つまはじき者、自己中心的でろくでなし、社会性のない奇人変人とかのイメージで売られてる。一体そんな奴がどうして自己矛盾なく社会的問題にコミット可能なのか?言い換えるなら、いかにしてロックという土壌は利己的な個人に公共性を獲得せしめたのか?……こんなんバイト終わるまでに絶対わからんやないか。

とにかく、アイドルが社会的諸問題に無関心でも何ら問題なく、ロックがそれに無関心であることは問題(だった)って、えらい違い。宣言どおり収拾つかず。いつか考えがまとまりますように。

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翌日の追記
あれからぼんやり考えてたけど、やっぱり「何でロックが自己矛盾なく社会的問題にコミット出来るのか?」「何でロックは利己的個人に公共性を獲得せしめたのか?」っていう問い自体に、政治(的な言動、振る舞い)をすっかり対象物として疎外してしまった自分の姿が透けて見える。

一つの仮説。物凄い不躾な言い方をするなら、身勝手なロック歌手は「おれのことわかるやついるけ」と、とにかく「おれ」本意で歌を歌う。ならば、「おれ」の内に政治的課題が根を張っていさえすれば、例えば女、車、金や未来のなさ、etc...みたいな典型的な主題と何ら矛盾なく並列するんじゃないか。85年に生まれて都市圏に育った自分は市民失格ってくらい寝ぼけてるのかもしれない。





2012年3月14日水曜日

猫(ザ・ブログ)

なんでこんな陰気なブログになってしまったんや。もともとは猫の写真載せたりセコハン屋(国道沿いとかにある骨董屋)巡りの記事を書いたりしたかったのだと思い出した。とりあえず猫いってみよう。

窓の外を気にする

めす猫ベティがやって来たのは1月末。最初は全然慣れず、いっつもちゃぶ台の下で丸くなってたけど、ベティベティ言いながらごはんあげたり糞を除去してあげるうちに敵ではないと知ったのか、すっかりゴロゴロ言うようになった。生まれてはじめて猫と暮らすようになって驚いたこと。真昼間でも浅く眠ってるし、夜中でも布団に遊びに来る。生活リズムって適当なんやろか。意外だったのは綺麗好きとされる人間並みに綺麗好きってこと。まさか、と思ってたけど便所は猫砂だと知ってるし、用を足す時も絶対自分にかからぬ様ぷるぷるいわしながらトイレの縁に掴まっている。たまに毛玉を吐いた後はしれっと別の場所で丸くなっている。爪研ぎも適当に見繕った麻編みの板でしかやらない。正直敷金ぶっ飛ぶやろな~とか思ってたけど荒れる気配はない。猫ってかしこいんやなァ。

手すりにのっかる
あぁ愛くるしい。これからもよろしく



石ころすとーんず

三連勤初日。ゆうべの総括

磔磔、昔っから憧れていた場所なので緊張する。ファンダンゴに同じ。で、問題はファンダンゴの時に自覚した、当日の外的諸要因をどう演奏に反映させるか(あるいはさせないか)ってとこ。その夜その場所に会する共演者、来場者、演奏者自身それぞれに色々な365日がある。共演者めっちゃ怖いかもしれんし、お客さんは別の誰かを観に来た人だらけかもしれんし、自分は風邪引いてたりするのかもしれない(ちなみに対バンの人全然怖くなかったしお客さん6人も来てくれたし自分は元気です)。とにかく当日になってから、うわ、うわうわ、と思うようなことって次から次から出てきて、そのネガティブな要因全部をぶっ飛ばせる心は今の自分にはないし、当日起こり得るネガティブな要因なんて考え始めたらキリがない。むしろそんなん「ありき」と捉えて、それでも、自分たちの演奏が持ち得るポジティブな可能性全部がマイナスされてもなお残る、石ころみたいなものがどれだけいけてるかってところが大事なんちゃうかね。

で、ゆうべの石ころは?
これ、決して観ることの出来ない自分たちの演奏が他者にどう映ったのかを自ら語る、ていう二重に破綻した問いやな。演奏中のおぼろげな記憶や終演後の会話に手掛かりを求めるなら、もうちょいいけたんちゃうかって思ってしまう。演奏中はギターの音がバリっとしてること、新曲での演奏が振り切れなかったことなんかが気になった。そしてそれらは音作りとか練習での試行錯誤とか、演奏前日までのセッティング次第で排除できたもの。思えば拾得の夜なんかは、それらの要因が一切排除された上に、共演者や来場者に励まされることで起こった夜だった。終演後話を聞くと、それでも歌詞はばっちり届いていて出音も良かったとのこと。もちろん顔見知りの声やから額面通りに受け取ったらあかんけど。少なくとも半年前に同じ状況に置かれたら最低限の石ころも見せられず終わったと思う。もっとマシにやれるんちゃうかな。


2012年3月11日日曜日

一年に寄せる

2012年3月11日、こうしてバイトしているので、やっぱり何かを書く。ただの3月10日のあくる日じゃなくなった3月11日、何か言うべきなんやろうか。何かものを言う人がそれに触れない、あるいは沈黙することは、発言以上に何かを語ってしまうんやろか。

去年の今日(去年に今日はない)は、夕方までいつもの練習場所で大きな音でエレキギターを弾いていた。今のバンドとは全然違うバンドのサポートとして。自分以外のメンバーは大阪東京札幌在住やったけど、サポートの自分の都合に合わせて京都のいつもの練習場所で練習してくれた。たしか3月20日の演奏に向けての音出しやったはず。 3.11からの時間的な距離を思うとき、この日の練習場所に射してた冬の終わりっぽい西日とか、練習の終わり頃、さっき仙台の方で大きな地震があったっていう誰かの声を聞いたことを思い出して、1年どころじゃなく遠い昔のような気持ちになる。

あれからいろんなことが起きた。バンドを組んで歌を歌うようになったり新しいバイトを掛け持ちするようになったり恋人ができて一緒に暮らすようになったり猫がやって来たり近しい人が死んでしまったり卒業が決まったり、たりたり。こうして文字にすると不思議、まるでどっかの誰かの糞退屈な1年やないか。そしてそれはそのとーりなのだ。言い表すことの効能は、「このおれ」だとかの個別の事物そのものを一般化(言語化)して、そいつらをこの世界に開いてやれることにある。そして一般化が真っ先に捨て去るのが、一番重要だったはずの「このおれ」の唯一性なのだ。たぶんやけど。そんな危険性を隠蔽して一見安寧に行われ続けるあらゆるコミュニケーションにおいて、この前提が忘れられるとやばいと思う(たいがい忘れがちやし別に誰も教えてくれへんかったけど)。あくまで言葉は、言い表したい事物そのものを世界に接続するために、(まさしく)語弊も恐れず言葉にした、という風なものなんじゃないか。すべての言語は語弊なり。語弊こそ言語なり。しかし自分の喋ってる相手がそんな前提に立ってるんかどうかなんて全然わからん。そんな前提に立とうとする自分が頭おかしいんかもしれへん。なんかこわ。

原発について。いや、もうとっくにようわからんのです。放射性物質XXの半減期が何年だとか、静岡産のカツオは福島沖を回遊した帰りやとかどうとか。自分にとって何十年スパンの「恐怖」は、きちんとした「恐怖」の形を留めて胸に届かないってことだけははっきりと分かってしまった。なんせ一度も就活してない。きっとそういう馬鹿な部類の人なんだと思う。一回激安のカツオ買って一気食いした後、ちと不安になって検索した時たまたま引っ掛かったのが上に書いたカツオ情報。結局、結局ようわからんわ、というざっくりした気持ちから、その後もちょいちょい安カツオ食べちった。どう考えても放射能に怯えていない。きちんと放射能に怯えられていない。きっとある人に言わせれば、キミ麻痺してるわ~となるんやろう。とにかく自分はカツオを食べた。いや、カツオに限らず。あかん、アホのまま終わってしまうけど今日中に投稿したい気持ちなのでここらへんで。

想像もしなかった1年前の1年後の翌日、明日は磔磔で演奏。

2012年3月8日木曜日

卒業(純日記)

三連勤三日目。今日も無理矢理記します。

ゆうべも帰ってすぐビラの改訂版にとりかかる。やりとりしたメールを参考に(なるべく意志を汲みきれるように)一人きりで夜中に一気に仕上げたので、単純な表記ミスから表現の柔らかさ・ニュアンスに至るまで、別の人から見てみると幾つかのツッコミどころがあった。色んな人の色んな思いがある「場所」だから、当然それについての言い表しの過剰さ/もの足りなさも、関わった人の数だけあるはず。対外的に撒かれたこのビラを手にした人が、言い表された文章からその「場所」について実際にどういう解釈をするのかってとこだけではなく(もちろんビラという性質上、見知らぬ誰かの解釈のありようは無視できないけど)、ビラの表現に作り手側(=イベントに関わる人たち)の気持ちからの乖離がないかってとこも大事なことじゃんとふと思った。

で、朝5時くらいまでかかって、昼は11時起床。13時からバンド練習ビラ刷り18時からバイトか忙しいなと思っていたら、「今日卒業可否判定の日やんな?」というメールが届く。すっかり忘れてた。メール見てから学校着くまでの数分間は流石に緊張した。卒業にはあと17単位必要で、受講単位数は22単位。2011年度後期はあらゆるツケが回った形の時間割になっていて、まるで興味のない一般教養も8単位分取得しなきゃならなかった。ええ歳して1月下旬は受験生みたいにスケジュール組んだりして勉強してたものなァ。おかげで無事22単位取得(A判定18単位もあるじゃん)、このたび卒業の運びと相成りました。サイナラ!

2012年3月7日水曜日

ドツボ節

三連勤二日目。しかし書かねばなるまい。文章に充てるって決めたから。

昨日は26時にバイト終えて帰宅、朝から根詰めてビラ書いてからのバイト終わりなんで、すぐ寝たほうがええんちゃうかと思いつつ、ビラの裏面を半分くらい残してたのが気がかりで結局朝6時までかかって仕上げる。昼12時に起床、仕上がりを確認して悦に入ったり修正したりする。あぁまずい楽器触らな、と思ったところで、このイベントを思いついた友達から電話が掛かってきたので、いよいよ刷ることに。最初の会議が3月1日で、出演者や開演時間なんかが概ね確定したのもこの日やから、手作り催事の手書きビラにしちゃかなりのスピードやったと思う。

とはいえ、これ、通常のライブのビラ(日時等の告知が出来てたらオッケイて感じのもの)と違って、会場の場所性そものもがイベントの趣旨に深く関わっているから、ビラそれ自体で「場所」を表現しなくてはならない。長い長い歴史の中で大勢の人たちが関わって、かつ中心や頂点のない「場所」を。書いてて改めて思ったけど、やっぱりあの場所は言葉に似てる。というかあの場所に気付かされただけで、普段カンタンに認識して一言で語り捨てているあらゆる事物たちも、本来は語るのにいちいち困難を伴うような存在だったはず。

じゃあこれまでどうやって暮らしてきたん?て感じやけど、きっと自分は言葉の持つ過剰さ/もの足りなさが、「事物そのもの」を変容させてしまうってことに無頓着であるよう、違和感を麻痺させることで暮らしてきたんやと思う。もちろんそれはこの世界を生きるのに必要なやり方やとも思っている。「事物そのもの」と「言い表されたもの」の間に、天地ぐらいの乖離があれば、その違和感に反応するんやろう。いやむしろ反応したからこそ天地の差があると言える、のかもしれない。その差が縮むにつれ鈍感になるのか、あるいはコミュニケーションの効率だとかを優先して捨象するのか、とにかく「そんなもんかなぁ」などと思いながら(あるいはそんなことすら感じずに)喋り、書き、している。もうこの文章がまさにそれ。書きながら「いやいや違う違う」ってなるし、かと思えば「いや、ええこと言うてる。これが言いたかったんや」とか思ったりする。果たして、言葉は思ったことのアウトプットとして十全に機能してるんやろうか。でも、それでも人々は言葉(的なもの)でしか通じない(以心伝心にファックオフを)。こんなことをなんとなく心に留めてるか留めてないかでだいぶ違うと思う。

2012年3月5日月曜日

尻尾を掴む

曲の尻尾を掴む感じが訪れた。結構惨めなことを記すことになると自覚した上で、敢えてその感じを文字に起こしてみようと思う。

えー、土曜か。土曜日は金曜に済まなかった洗濯の続きをこなす必要があって、さらに昼から用事もあったから、家事の隙間に何となく弾き始めた確か。最初に気付いたのは、今ぽろぽろ爪弾いてる4小節の繰り返し気持ち良いな~と思ったあたりで、進行自体は全然新しくもない。繰り返し弾いているうちに何となくメロディも出てきて、鼻唄歌いながら弾いていた。その辺りで、先日の日記以降気にかけてた「尻尾を掴む」てことを思い出してたはず。

まぁ、舌の根も乾かぬうちなので、たいそう大事に思い込み、警察から戻ってきたばかりのアイホンにボイスメモとして記録、ノートにも尻尾らしきもの(曲の感じとか歌詞とか)を出来るだけ記した。で、洗濯物も干していよいよ用事に出掛けなくちゃならん、となったところで、何となくBメロらしきものの尻尾がかすめてったので、それも2重に(アイホンとノートに)メモして、遅刻。我ながら良い遅刻をしたなぁと思う。

万全の体制、すごい意気込み。最初はおっそいテンポでアルペジオの感じやったけど、土曜の夜バイト中に、シャッフルにしてテンポを倍にする案も思いついたりして、得意気になったりした。と、まぁここまでは生活の中で度々かすめる尻尾を掴んだだけ、きちんと記録しただけ、という事なんやと思う。先日の日記に記した、「日々の暮らしに熱を奪われるまでの短い時間にどこまで形作れるか」ってところが課題なはず。その点、土曜昼に外出して以来、土曜の夜は26時までバイト日曜は10時起床20時までバイト帰宅後は大至急のビラを書かねばならずそのまま寝落ち月曜は9時から17時までビラ作成にかかりっきりで18時からバイトほんで今20時32分。要するに熱いうちに妙案奇案こねくり回せてない。多分これはまずい。

そう、作りかけの曲が実を結ばず死産となるのは大抵こういう時だと何となく知っている。日々の余計なものどもに気を取られているうちに、やっぱそんなに良くないかな~とか、徐々に弱気になっていって、熱が冷めてしまって忘れ去られることとなる。また、現時点で最後に作った自作曲が2週間ほどで出来たことを考えると、今しかないがな、という気持になりバイト先で焦る。有線うっさいわ~

あと、初動(尻尾掴みたての熱くて短い時間のことです)で完全に仕上げてしまう必要はない、とも思う。前述の最新自作曲も、2週間で出来たとはいえ、綻びが目に付くので歌詞を変えたりキー変えたりBメロを加えたりした。いま演奏してるバージョンになったのは去年10月ごろ?やろうか。初動期間(最初の2週間)から2年近く経っている。要するに、初動期間中に勿体無くて後戻りできない(放置できない)ぐらいのところまで形作ってしまうのが肝心要なんじゃないかと思う。そこまでいけば、歪でもレパートリーに加えてしまえば、後は良い方向に向かってくれるはず。

2012年3月2日金曜日

春なんです(純日記)

バイト中の暇な時間を文章に充てるという目的で始めたブログなので、ゆうべの夜勤終わり(2AM)から今日の夜勤(NOW)までの何てことない1日をも綴らねばなるまい。

朝8時に起床、雑務を済ませる日と何となく決める。先月20日頃にやったきりの洗濯物が溜まりまくっていること、灯油切らして寒いこと、コーヒー豆切らして生活に張りがなくなったこと、トイレットペーパーなくなってティッシュで拭かなあかんようになってること、口座がすっからかんで携帯代支払えてないこと(このままやと恐らく一両日中に回線止まること)、アイホン拾ってもらったきり警察に置きっぱなしなこと、などが思い浮かんだので、洗濯から順にこなす。

チャリの荷台に灯油缶積んで灯油コーヒー豆トイレットペーパーを一気に行く。灯油が20リットル1600円から1700円に、いつものコーヒー豆200gが500円から600円に値上げとなっていた。いつも豆を買ってる中立売のミリオンコーヒーは、去年の夏にバンド練習の行きしなに初めて寄ったとき、店主のおっちゃんの話し方が好きになり、家から全然近くもないのに毎度買っている。あと、漫画「コーヒーもう一杯」でも非常に美味しそうに描かれるドリップ最初の蒸らしですが、個人的にコーヒータイムの半分くらいはコーヒーを淹れる所作それ自体で満たされるので、蒸らしの時に豆が膨らんでくれるか否かは結構重要であり、その点おっちゃんの店の豆は200g飲み切るまでふくふく膨らんでくれるので最高。味もきっとうまいに決まってるわ。

買いもの済ませて帰って、ギターの弦きったないなぁ、と思いついて弦交換した。ずっと使ってるバーブリッジのSG、ブリッジ兼テールピースの部分が弦の振動で大概削れてしまって、1弦が明らかにビビっている。どうしよう。若干考えて台所用のクレンザーでしばらく磨いたけど何ひとつ変わらんかった。どうしよう。

夕方までの時間ヒマなので、人にもらった「太陽がいっぱい」のサントラを全く期待せずに聴く。普段全然聴くことのない曲調、それでいてきっと良いものに違いない音楽が部屋のスピーカーから流れてくる感じがすごく良かった。アルバムのどこが良かったという風な感想は持てんかったけど、こんな聴き方楽しいなぁ。

ほんで夕方バイト行きしなに電話代払って、警察署行ってアイホン受け取って、バイト入って、持参のカレー弁当食べて、あと2時間で今日のバイトが終わる。あ、家出るとき、アイビー吊るして陽に当ててるアパートの踊り場を見たら、うちの鉢植えの下に誰かの小さい鉢植えが新しく並べてあった。春だなァ。



2012年3月1日木曜日

サッチ・ア・ナイト

きのう、拾得で演奏した夜はとてもいい夜だった。
自分ひとりが寄与したなんてわけでもなく、自分以外の人から単に与えられただけでもなく、あの場所の全部がその夜を作っていたように思う。お客さんの入り自体は満員とは程遠い、火曜日って感じの集客だったけど、すごくステキなお客さんたちだと思った。もちろんこれだって単にその人の属人的な要素だけじゃなくて、それぞれの出演者の演奏や拾得の美味しい料理や雰囲気とか、色んなあれこれがお客さんたちを素敵にしてしまったんやと思う。自分たちがお客さんを呼べなかったことが本当に残念に思える夜。

特に最後、三番手のリー・ルードさんの演奏を客席で観ながら、自分たちが出演した夜がこういう結末を迎えられたということや、歌の持つ一番幸福な瞬間を見てるんちゃうか、とか思って、ほろっとくる瞬間が何度かあった(そういう意図の歌や演奏ではなかったかもしれないけど)。
リー・ルードさんの歌はきっとこれからも聴くことができる、おまけにゆうべは風邪まで引いてはった。歌や演奏自体は、もしかしたら今後どこかで聴くときの方がバッチリなのかもしれない。でも、何度目かのアンコールに応えたリー・ルードさんの「年に数回あるかないかの夜です」っていう言葉に象徴されるように、出演者の演奏や、お客さんの心意気、拾得っていう場所性なんかがリーさんの歌を媒介に交差した貴重な時間だったと思う。これがライブだよ、と思った。

あと、個人的に嬉しかったこと。
何度でも言いいたいが自分は曲作りが致命的に遅い。中学生時分からの代謝不全。
8年前、大学進学と同時に京都へ来て、キークスという軽音サークルの人たちと結成した、烏合の衆というバンドで京大軽音のイベントにお邪魔して、西部講堂のイベントに出演、3曲だけ演奏させてもらったことがあった。その時の1曲はゆうべも演奏した42号線の原型となった曲で、Bメロが加わったことを除いて、最初期とおんなじイメージで相変わらず演奏し続けている(キリッ)。
そんな42号線という曲、今やっているバンドのひとつ前のバンドでも当然の如く演奏していたんやけど、西部講堂から5年近く経った3年前、西院ウーララでの演奏時、共演者に西部講堂での演奏を覚えている人がいた。「あの時西部でこの曲やってへんかった?覚えてるで~」って。ほんまにびっくりして嬉しくてたまらんかったです。
ほんでそこからさらに3年の月日が流れた2012年2月28日、ゆうべの拾得のお客さんの中にその人が居た。3度目の邂逅。終演後、同じ調子で声を掛けてもらい、色んな感想を聞かせてくれた。3年前と同じように驚いて喜んで、同時に京都すごいなぁ、とか思ったりした。その人は8年前も自身のバンドで西部に出演した際に自分たちを見てくれていて、3年前も偶然に共演、ゆうべはリー・ルードさんのお客さん(且つ、バンドのメンバー)として観に来てはったんやけど、こうしてちゃんと再会出来て言葉を交わせるなんて。なんて夜だことよ。