暇がつづくわ。
今日持ってきてる弁当のおかずにニンニクの芽の炒め物が入ってて、ニンニクの芽ってどんなんやと思いちょっと調べたら、ニンニクよりも臭くなくニンニクより栄養価が高いんですってよ。ド定番のおかず食材だったので嬉しい。
この感情って不思議やと思う。さっき見てたサイトにも「ビタミンAがCが~」とか書いてあったけど、自分にとってビタミン(とかその効能)っていうのは誰かの書いた文章の中に文字としてしか存在してない。それでも「ビタミンは良いものだ」みたいな思い込みがあって、こうして喜んでいる。
その思い込みは昔読んだ家庭科の教科書だったり、「思いっきりテレビ」観て夕飯を作った母親だったり、さっき見たサイトだったり、色んな所から刷り込まれたんやと思う。いま思いついた全部に共通するのが、教科書、テレビ番組、ウェブサイトという媒介物から「情報」として得られたものってことと、ウェブサイトを除いたそれらは極少数の者(出版社、テレビ局etc)たちの手によって大量生産され流布されたものであるということ。たった今これをプロパガンダだと思えば、世界が反転するような感覚を味わえた。たかがビタミンの話やから別にいいんやろうけど、実際もっと深刻なことだって媒介物から得られた情報だけを頼りに行動してると思うし、それへの信頼(というか身投げに近い投げやりな感じ)なしには暮らしていけないような気もする。みんなどうやって折り合い付けてるんやろ。
2012年6月26日火曜日
2012年6月24日日曜日
神戸へ行ってきた(純日記)
こうやってブログやめていくんやろか。
昼勤増やしたから夕方から遊べて良い分、アホ程暇な夜勤が減ってしまって、なにか物申してやりたい気持とタイミングがずれる。
ただの日記をば
昨日は友達の演奏を観に数年ぶりに三宮へ行ってきた。梅雨の晴れ間って感じだったので洗濯や片付けやってたらアパート出るのが15時過ぎてしまった。阪急で1時間ちょい600円。下手にミナミ行くよか近いし安い。たしか堺筋線乗り継いで日本橋行ったときも1時間掛かったし600円は超えてたと思う。
まずは、というかもう16時半だったのでモトコーだけ見て回ると決めて6番街あたりから元町駅の方へあるく。全然変わってないような、ちょいちょい変わってるような。好きな感じは相変わらず!あ、5番街と4番街の間のでっかい柱いっぱいにベタベタ貼られてたパンクとかハードコアの怖いビラが全部なくなってる。
4番街?らへんを歩いてるときに新しいレコード屋さんを見つけた。日本のR&R/ロカビリーってコーナーがエサ箱1箱分以上あってワクワクした。パッと見のジャケが最高やった「Thanks to Ediie/湯江健幸」500円、むかしBURSTて雑誌の「電撃ビリビリロック秘宝館」のコーナーで紹介されてた坂上忍のセカンド1000円を買う。忍兄ぃの方は1000円やし、大ハズレが少し怖い。けど両方ともジャケがめっちゃよい。
モトコーいえば
「積み上げたレコードを柱にして高架支えてるんちゃうか」って友達と冗談言い合ってしまうくらいのエラい店があったはず。あった。だいぶ元町寄りの多分2番街らへん。こういう話にありがちな、案外そうでもない、というようなことは全くなかった。全棚カチカチにレコードが詰まってて、エサ箱の上に軽く50枚は平積みされてた。普段通りのレコードの探し方やと、ジャケットの上部3㎝程度の色合いのみをヒントに判断することになる。ん、コレなんやろ、って汗かきながら引っこ抜く度に心が折れる(ペドロ&カプリシャス憎し)。全体の値付けはほんまに安かった。でもPYGには4000円とかついてた!時間ないしオシッコしたいし、最適な探し方を見出せないままに店を出た。また行きたい。
で、ライブを
神戸108というライブハウス。初めて来た。第一印象はとっぽいぜ!て感じがした。よく行く京都のライブハウス、拾得とか磔磔、ウーララ、ネガポジって全部テーブルがあって、お客さんは座って飲み食い(ガチ飯)しながら観るってのが普通やから、すごい斬新に感じた。ライブハウスっていったら立ち見の方が普通なんやろうけど。
1つ目のバンドがジャジャーンって音鳴らすと同時にとっぽい(本気でそう見えた)お客さんたちがフロアの前方に寄って行って、あぁ、何かカッコいいと思った。
友達のバンドは2つ目に出てた
やっぱり良い。というか5年くらい前に一緒にバンドやってて、別々になって、それからやりたいことを尖らせ続けて昨日の夜に繋がってるんやから、いいに決まってるねんけど。歌が真ん中にあるロックンロール音楽はほんま好き。自分も別のやり方でそういうのがやりたい。この夏にファーストアルバムが出る。やりおった!
他のバンドも観た感じ、会場の音の特性が変わってるのか、自覚的にPAでそういう音に仕上げてるのか、声とか楽器それぞれの音よりも、迫力とか全体のうねりみたいなんがボワーと来るような音だった。これも京都(上に挙げたとこ)やとあまりない感じ。別の良さが確かにあった。そんな中で友達のバンドはエレキギター2人の5人編成やのにしっかり歌を聴かせてた。かっこよいなぁ。やるなぁ。
で、目当てのバンドがもうひとつあって
最後からひとつ前に出てた。高校生のころ大いに憧れていた堺のバンド。何年ぶりかになるけど、やっぱりほんまに良かった。キレッキレや。初めて知った時から、「お!ば!け!が!で!た!ぞ!」って決めたり、全く歌わんと曲終りまでやったり、上空に唾吐いたり、「ガレージ」とか言って括られた中では演奏もアクションも段違いにカッコよかった。で、それから何年も経って、もう全然分からない場所に居る。やれ、めんたいだ、ガレージだ、初期パンだ、元ネタが何だ、とか、そういうヒントを与えない、かつ、前よりかっこいい。たぶんこれはすごいことや。ティーシャツ買った。そして今着てる。嬉しい。
昼勤増やしたから夕方から遊べて良い分、アホ程暇な夜勤が減ってしまって、なにか物申してやりたい気持とタイミングがずれる。
ただの日記をば
昨日は友達の演奏を観に数年ぶりに三宮へ行ってきた。梅雨の晴れ間って感じだったので洗濯や片付けやってたらアパート出るのが15時過ぎてしまった。阪急で1時間ちょい600円。下手にミナミ行くよか近いし安い。たしか堺筋線乗り継いで日本橋行ったときも1時間掛かったし600円は超えてたと思う。
まずは、というかもう16時半だったのでモトコーだけ見て回ると決めて6番街あたりから元町駅の方へあるく。全然変わってないような、ちょいちょい変わってるような。好きな感じは相変わらず!あ、5番街と4番街の間のでっかい柱いっぱいにベタベタ貼られてたパンクとかハードコアの怖いビラが全部なくなってる。
4番街?らへんを歩いてるときに新しいレコード屋さんを見つけた。日本のR&R/ロカビリーってコーナーがエサ箱1箱分以上あってワクワクした。パッと見のジャケが最高やった「Thanks to Ediie/湯江健幸」500円、むかしBURSTて雑誌の「電撃ビリビリロック秘宝館」のコーナーで紹介されてた坂上忍のセカンド1000円を買う。忍兄ぃの方は1000円やし、大ハズレが少し怖い。けど両方ともジャケがめっちゃよい。
モトコーいえば
「積み上げたレコードを柱にして高架支えてるんちゃうか」って友達と冗談言い合ってしまうくらいのエラい店があったはず。あった。だいぶ元町寄りの多分2番街らへん。こういう話にありがちな、案外そうでもない、というようなことは全くなかった。全棚カチカチにレコードが詰まってて、エサ箱の上に軽く50枚は平積みされてた。普段通りのレコードの探し方やと、ジャケットの上部3㎝程度の色合いのみをヒントに判断することになる。ん、コレなんやろ、って汗かきながら引っこ抜く度に心が折れる(ペドロ&カプリシャス憎し)。全体の値付けはほんまに安かった。でもPYGには4000円とかついてた!時間ないしオシッコしたいし、最適な探し方を見出せないままに店を出た。また行きたい。
で、ライブを
神戸108というライブハウス。初めて来た。第一印象はとっぽいぜ!て感じがした。よく行く京都のライブハウス、拾得とか磔磔、ウーララ、ネガポジって全部テーブルがあって、お客さんは座って飲み食い(ガチ飯)しながら観るってのが普通やから、すごい斬新に感じた。ライブハウスっていったら立ち見の方が普通なんやろうけど。
1つ目のバンドがジャジャーンって音鳴らすと同時にとっぽい(本気でそう見えた)お客さんたちがフロアの前方に寄って行って、あぁ、何かカッコいいと思った。
友達のバンドは2つ目に出てた
やっぱり良い。というか5年くらい前に一緒にバンドやってて、別々になって、それからやりたいことを尖らせ続けて昨日の夜に繋がってるんやから、いいに決まってるねんけど。歌が真ん中にあるロックンロール音楽はほんま好き。自分も別のやり方でそういうのがやりたい。この夏にファーストアルバムが出る。やりおった!
他のバンドも観た感じ、会場の音の特性が変わってるのか、自覚的にPAでそういう音に仕上げてるのか、声とか楽器それぞれの音よりも、迫力とか全体のうねりみたいなんがボワーと来るような音だった。これも京都(上に挙げたとこ)やとあまりない感じ。別の良さが確かにあった。そんな中で友達のバンドはエレキギター2人の5人編成やのにしっかり歌を聴かせてた。かっこよいなぁ。やるなぁ。
で、目当てのバンドがもうひとつあって
最後からひとつ前に出てた。高校生のころ大いに憧れていた堺のバンド。何年ぶりかになるけど、やっぱりほんまに良かった。キレッキレや。初めて知った時から、「お!ば!け!が!で!た!ぞ!」って決めたり、全く歌わんと曲終りまでやったり、上空に唾吐いたり、「ガレージ」とか言って括られた中では演奏もアクションも段違いにカッコよかった。で、それから何年も経って、もう全然分からない場所に居る。やれ、めんたいだ、ガレージだ、初期パンだ、元ネタが何だ、とか、そういうヒントを与えない、かつ、前よりかっこいい。たぶんこれはすごいことや。ティーシャツ買った。そして今着てる。嬉しい。
2012年6月3日日曜日
ロックは死にまへぇぇん!(苦笑)
今日の昼勤ヒマや。よかった。 さっき思ったことを書きたい。どうやって書くのか。書けるか
ルーズなロックンロールが好きで、ある種のレコードを聴いてると、ちゃんと「あ、これこれ。これだよ~」って思う。でも音楽を表した言葉って面白い。「ルーズなロックンロール」において、一体なにがそれを「ルーズ」たらしめたのか、「ロックンロール」たらしめたのかは、実はよく分からんままじゃないのか。いや、聴いたら「分かる」んやけど、言葉で表せない(≒分からない?)ってことか。「音そのもの(再生されたレコード)」から「ルーズなロックンロール」って言葉を導いたくせに、「ルーズなロックンロール」という言葉から、その何たるかを説明することの困難よ!
いま思いついたキッカケが「ルーズなロックンロール」というフレーズだったので変な例えになってるけど、たぶん「ロック」とかもそう、言葉全般がそう。
言葉を使ってものごとを言い表す時、その人は用いる言葉の意味を既に「知って」いないといけない。「辞書的定義を説明できる」といった「知識」としてではなく。なぜならその人が紡いだその言葉は、その人の生きてきた時間の中で、ずーっと再生産、内面化されてきたもので、辞書なんか引かなくてもとっくに「知って」いるから。
例えば「ロック」って言葉なら(なんかダッサ~)、その人にとって信頼に足る他者による「ロック」という言葉の使い方や、その人が観たテレビ番組、読んだファッション誌、友達がやってるバンド、好きなレコード、etcetc…あらゆるものから、その人の「ロック」は形作られる。
だから、目に見た・耳に聞いたものごと・対象物を、類型的に「ロック」である、と導くことは容易でも、「ロック」それ自体を言葉で説明することが困難になってしまうんじゃなかろーか。言葉のふるさとはあちこちに散らばっている。辞書には何も載っていない。
同時に、その人自身がその言葉「ロック」を用いてものごとを言い表すことで、再び「ロック」はその意味を生産し、その人にとっての「ロック」は更新される。
で、面白いのは、ある人が「ロック」って言葉を使うということは、「ロック」そのものを更新・改変し得るということじゃないか。なぜならその人もまた、誰かにとっての「信頼に足る他者」であり得るから。
「ロック」の使い方、例えば「がいこつ」マークに「ROCK」をあてがう。個人的にはこういうのが一番つまらんタイプの運用で、何の意味も生み出さない。でも、これも最初の頃は偉大なる更新・改変だったんじゃないかなと思う。音としての「ロック」は、「がいこつ」と全然関係ない。例えが下手で悲しい。
もうひとつ。どう聴いたってくだらないバラードまでもが往々にして「ロック」に含まれてしまう理由。そういう場合の「ロック」は多分に属人的である。それを歌う歌手の出自、言動、過去の作品、バンド編成か否か、といった記号が、ロックと親和性の高いものであった場合、くだらないバラードは「ロック」に吸収されちゃうんじゃなかろうか。「ロック」の越権。そしてこの越権行為はあらゆる言葉が普段から行っている。
きっとそんな風に、更新・改変、ときに領土の侵略を繰り返しながら意味を再生産することで「ロック」は今日まで寿命を延ばしてきたんやと思う。それゆえ、更新の度にあちこちでその正当性・真正性が争われるのだ。「あんなんロックちゃう」という風に。誰かが「ロックは死んだ」とか言ってるとき、「ロック」は別の方法で生きのばしている。本当に死ぬものは、それについて語る人も居なくなって、ひっそり死んでいく。
ルーズなロックンロールが好きで、ある種のレコードを聴いてると、ちゃんと「あ、これこれ。これだよ~」って思う。でも音楽を表した言葉って面白い。「ルーズなロックンロール」において、一体なにがそれを「ルーズ」たらしめたのか、「ロックンロール」たらしめたのかは、実はよく分からんままじゃないのか。いや、聴いたら「分かる」んやけど、言葉で表せない(≒分からない?)ってことか。「音そのもの(再生されたレコード)」から「ルーズなロックンロール」って言葉を導いたくせに、「ルーズなロックンロール」という言葉から、その何たるかを説明することの困難よ!
いま思いついたキッカケが「ルーズなロックンロール」というフレーズだったので変な例えになってるけど、たぶん「ロック」とかもそう、言葉全般がそう。
言葉を使ってものごとを言い表す時、その人は用いる言葉の意味を既に「知って」いないといけない。「辞書的定義を説明できる」といった「知識」としてではなく。なぜならその人が紡いだその言葉は、その人の生きてきた時間の中で、ずーっと再生産、内面化されてきたもので、辞書なんか引かなくてもとっくに「知って」いるから。
例えば「ロック」って言葉なら(なんかダッサ~)、その人にとって信頼に足る他者による「ロック」という言葉の使い方や、その人が観たテレビ番組、読んだファッション誌、友達がやってるバンド、好きなレコード、etcetc…あらゆるものから、その人の「ロック」は形作られる。
だから、目に見た・耳に聞いたものごと・対象物を、類型的に「ロック」である、と導くことは容易でも、「ロック」それ自体を言葉で説明することが困難になってしまうんじゃなかろーか。言葉のふるさとはあちこちに散らばっている。辞書には何も載っていない。
同時に、その人自身がその言葉「ロック」を用いてものごとを言い表すことで、再び「ロック」はその意味を生産し、その人にとっての「ロック」は更新される。
で、面白いのは、ある人が「ロック」って言葉を使うということは、「ロック」そのものを更新・改変し得るということじゃないか。なぜならその人もまた、誰かにとっての「信頼に足る他者」であり得るから。
「ロック」の使い方、例えば「がいこつ」マークに「ROCK」をあてがう。個人的にはこういうのが一番つまらんタイプの運用で、何の意味も生み出さない。でも、これも最初の頃は偉大なる更新・改変だったんじゃないかなと思う。音としての「ロック」は、「がいこつ」と全然関係ない。例えが下手で悲しい。
もうひとつ。どう聴いたってくだらないバラードまでもが往々にして「ロック」に含まれてしまう理由。そういう場合の「ロック」は多分に属人的である。それを歌う歌手の出自、言動、過去の作品、バンド編成か否か、といった記号が、ロックと親和性の高いものであった場合、くだらないバラードは「ロック」に吸収されちゃうんじゃなかろうか。「ロック」の越権。そしてこの越権行為はあらゆる言葉が普段から行っている。
きっとそんな風に、更新・改変、ときに領土の侵略を繰り返しながら意味を再生産することで「ロック」は今日まで寿命を延ばしてきたんやと思う。それゆえ、更新の度にあちこちでその正当性・真正性が争われるのだ。「あんなんロックちゃう」という風に。誰かが「ロックは死んだ」とか言ってるとき、「ロック」は別の方法で生きのばしている。本当に死ぬものは、それについて語る人も居なくなって、ひっそり死んでいく。
2012年5月31日木曜日
中古レコードの効能
ゆうべツイッターで「 #想い出のレコード店を語って自慢しよう」っていうハッシュタグがすんごい盛り上がっていた。基本的にはもう店をたたんでしまったレコード屋さんにまつわる想い出で、ツイッター人口の多さからか東京の話が多かったけど、読んでるだけで今すぐレコ屋に行きたくなるような話だらけだった。
レコード屋さん(中古レコ屋)って不思議やなーと思う。産業分類としては「中分類60-その他の小売業」になるんやろか。中古品やし、日本レコード協会の言う音楽産業市場だとか、あれこれのランキングだとかの数字には含まれてないはず。大きな動向とは無縁の物静かな場所。とはいえ、音楽の深みにはまるにつれ、中古レコード(や中古CD)から探すって選択肢は必然的に増えるやろうし、いま音を出してる音楽家たちが「新譜だけディグしてます!」ってのも考え難い。中古レコードが音楽を回してると平気で思える。
アマゾンは?ヤフオクは?って話になるけど、何故か自分はそのどちらもあまり使ってない。なんでやろ?ビニールジャンキー(蒐集家)たちのインタビューとか読んでても、欲しいものは手に入れる!と割り切って積極的に使ってるっぽい。でも思えば自分は、アレとコレを探してて、幾らまでなら出せる、みたいな感覚ではレコードを買ってないのかもしらん。これまでの暮らしの中であっちこっちからツマミ食いで仕入れた、何とはない情報の堆積(そしてそれらは全く体系化されてない)が自分の中にあって、レコ屋ではいつも膨大なレコードをめくりながら、ピンとくるやつが引っ掛かるのを待ってるという感じ。メディア論でプッシュ型/プル型って話があるけど、レコード買いにも当てはまる気がする。「おれはこれが欲しいねや」ってアマゾンとかヤフオクで決め打ちする「プル型」、何の身構えもなくレコ屋に行き、めくられてくるレコジャケ(遠い過去からの見当外れのプレゼン)の中から、自分に引っ掛かる一枚を待つ「プッシュ型」。どっちかに完全に分類出来るってことではないけど。
当然、昔のニューオリンズ音楽聴いてみたいなって気分の時に、数年来気に懸けてたガレージのコンピと出くわしてしまう(そして買って帰ってしまう)ような事が多々あって、それは普通の買い物で例えるなら歯ブラシ買いに出てペンキ買って帰るくらいの違いがあるんやけど、だからこそ、到底繋がりそうに無かった思考回路のミッシングリンクになったりする。あぁ、ほな、お歯黒にしよか、みたいな。
そんなこんなで、これからもレコード屋さんに足を運んでノンキな迷子になりたいぜと思った次第。
レコード屋さん(中古レコ屋)って不思議やなーと思う。産業分類としては「中分類60-その他の小売業」になるんやろか。中古品やし、日本レコード協会の言う音楽産業市場だとか、あれこれのランキングだとかの数字には含まれてないはず。大きな動向とは無縁の物静かな場所。とはいえ、音楽の深みにはまるにつれ、中古レコード(や中古CD)から探すって選択肢は必然的に増えるやろうし、いま音を出してる音楽家たちが「新譜だけディグしてます!」ってのも考え難い。中古レコードが音楽を回してると平気で思える。
アマゾンは?ヤフオクは?って話になるけど、何故か自分はそのどちらもあまり使ってない。なんでやろ?ビニールジャンキー(蒐集家)たちのインタビューとか読んでても、欲しいものは手に入れる!と割り切って積極的に使ってるっぽい。でも思えば自分は、アレとコレを探してて、幾らまでなら出せる、みたいな感覚ではレコードを買ってないのかもしらん。これまでの暮らしの中であっちこっちからツマミ食いで仕入れた、何とはない情報の堆積(そしてそれらは全く体系化されてない)が自分の中にあって、レコ屋ではいつも膨大なレコードをめくりながら、ピンとくるやつが引っ掛かるのを待ってるという感じ。メディア論でプッシュ型/プル型って話があるけど、レコード買いにも当てはまる気がする。「おれはこれが欲しいねや」ってアマゾンとかヤフオクで決め打ちする「プル型」、何の身構えもなくレコ屋に行き、めくられてくるレコジャケ(遠い過去からの見当外れのプレゼン)の中から、自分に引っ掛かる一枚を待つ「プッシュ型」。どっちかに完全に分類出来るってことではないけど。
当然、昔のニューオリンズ音楽聴いてみたいなって気分の時に、数年来気に懸けてたガレージのコンピと出くわしてしまう(そして買って帰ってしまう)ような事が多々あって、それは普通の買い物で例えるなら歯ブラシ買いに出てペンキ買って帰るくらいの違いがあるんやけど、だからこそ、到底繋がりそうに無かった思考回路のミッシングリンクになったりする。あぁ、ほな、お歯黒にしよか、みたいな。
そんなこんなで、これからもレコード屋さんに足を運んでノンキな迷子になりたいぜと思った次第。
2012年5月21日月曜日
録音できるかな
昼勤でも暇なら書ける。
結局買ってしまったDAWソフト。土曜の夜に松ちゃんの学生証借りて買った。ソナーのX1というやつ。エッセンシャル版というやつ。
この前まで使ってた昔のソナーとはUIも全然変わってしまって、この際キューベースでもいいかと思ったけど、きっと細かいとこは受け継がれてるでしょと思ってソナーにしておいた。プロツールスは相変わらず素直にVST使えないってことで選択肢から外れてしまった。
あれこれのインストールとかオーソライズとかオーディオデバイスの変更だとかも、初めてパソコン触ったときよりだいぶ手っ取り早く済んでよかった。なんであんなに大変やったんやろ。
今晩は8時からいつもの練習場所でバンドのドラム録音。大好きな練習場所固有のリバーブ感を、幽霊を捕まえるみたいにマイクで捕獲したいのだ。
具体的にはバスとスネアにオンマイクで1本ずつ。これはあとでコンプで潰すやつ。ほんでトップに1本か2本。左から右に流れるフィルインなんかに余り必要性を感じないから1本で十分かも。というかドラム自体、完全にセンター定位か右or左に振り切ってもいいぐらい。で、アンビ用のマイクをどこかに一本。これは絶対に。あとで好きな分量だけ混ぜる。和歌山の友達が教えてくれた。どんな感じになるでしょう?あそこでマイク立てるの初めてやから絶対失敗するけど。おまけにドラマーの人と録音の方向性全然話せてないけど。
結局買ってしまったDAWソフト。土曜の夜に松ちゃんの学生証借りて買った。ソナーのX1というやつ。エッセンシャル版というやつ。
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あれこれのインストールとかオーソライズとかオーディオデバイスの変更だとかも、初めてパソコン触ったときよりだいぶ手っ取り早く済んでよかった。なんであんなに大変やったんやろ。
今晩は8時からいつもの練習場所でバンドのドラム録音。大好きな練習場所固有のリバーブ感を、幽霊を捕まえるみたいにマイクで捕獲したいのだ。
具体的にはバスとスネアにオンマイクで1本ずつ。これはあとでコンプで潰すやつ。ほんでトップに1本か2本。左から右に流れるフィルインなんかに余り必要性を感じないから1本で十分かも。というかドラム自体、完全にセンター定位か右or左に振り切ってもいいぐらい。で、アンビ用のマイクをどこかに一本。これは絶対に。あとで好きな分量だけ混ぜる。和歌山の友達が教えてくれた。どんな感じになるでしょう?あそこでマイク立てるの初めてやから絶対失敗するけど。おまけにドラマーの人と録音の方向性全然話せてないけど。
2012年5月17日木曜日
今日はトキオの日
夜勤2連勤2日目。掛け持ちのバイトも累計したら10連勤の8日目やった。なんかアホの子みたいや。どれも楽or楽しいからいいけどさあ。
今日は12時に起きて、新しいパソコンへのアイチューンズ移し替えに見事失敗した。おおむね全部のファイルをゴミ箱でクシュっとやってしまった。60ギガぶん。アートワークとかプレイリストは移行出来てたから油断してた。トキオのデビューシングルがぽつんと残ってて泣ける。久々に聴くとやっぱ最高
なんでこんな良い曲をこんな服装で歌ったのか。舞台上の文脈から切り離されてしまったステージ衣装は恐ろしい。ユーチューブなんかで普通になったこの手の断片化と親和性のない文脈への投げ込みは、何かをやろうとする自分にも何らかの形で内面化されてると思う。引いて見るクセがついてしまった。
で、バイトまで時間あったからアイホンを復活させに行った。年末に落として半年ぶりに。うわ-今日パソコンと携帯のことばかり考えてる。退屈な水曜日
今日は12時に起きて、新しいパソコンへのアイチューンズ移し替えに見事失敗した。おおむね全部のファイルをゴミ箱でクシュっとやってしまった。60ギガぶん。アートワークとかプレイリストは移行出来てたから油断してた。トキオのデビューシングルがぽつんと残ってて泣ける。久々に聴くとやっぱ最高
なんでこんな良い曲をこんな服装で歌ったのか。舞台上の文脈から切り離されてしまったステージ衣装は恐ろしい。ユーチューブなんかで普通になったこの手の断片化と親和性のない文脈への投げ込みは、何かをやろうとする自分にも何らかの形で内面化されてると思う。引いて見るクセがついてしまった。
で、バイトまで時間あったからアイホンを復活させに行った。年末に落として半年ぶりに。うわ-今日パソコンと携帯のことばかり考えてる。退屈な水曜日
2012年5月16日水曜日
パソコンが来た(純日記)
パソコンが来た。デスクトップのやつ。
先週、7年くらい使ってたノートパソコンが遂に壊れて、貧乏性かつ貧乏な自分にはありえんような迅速さで新しいやつをポチっとやってしまった(無論月賦で)。今日は朝からそれのあれこれで夕方まで掛かってしまってからのバイト。
気がかりなのは4年位前に買ってノートに入れてたDAWソフトのオーソライズがうまいこといくんかどうか。初回登録の時は海外のサイトをたらい回しにされた記憶がある。これが出来んとまたDAWソフト買わされるはめになる。ちょうどバンドで録音をしようとしてて、きっと練習場所とアパートをデータが行ったり来たりすることになるから、厄介なトラブルはごめんだよー。
録音について。
月曜の練習で、マイク何本か立てて録ってみましょって感じで、録音してみた。敢えて単純に自覚的に、いわゆるバンドのデモ音源とかにありがちな、ライブそのまま再現って感じの演奏を録った。オケの一発録りというやつ。歌ってないと演奏に余裕が出るし、オンマイクで録音された自分のギターの音が結構気持ち良くて嬉しくなったりした。当初の目的は、誰かに配るための音源を作ることだったから、このやり方でもええかなとは思うけど、やっぱりライブそのまま再現の演奏を録音するのは良くないのかも。
ライブでの音楽は、目の前で人間が演ってる分、良くも悪くも「音」以外の要素の補正を受けるように思う。良いほうに転ぶと、バンドの雰囲気とか饒舌なMCとか舞台上のアクションで駄曲もアンセムっぽくなったりする。悪い方はというと、そっちも同様に、属人的要素とか視覚情報が音楽的評価に還元されて、音楽が耳を素通りしちゃったりする。音以外の要素から音楽を評価する(ロックは生き方やろ、とか。きらいやけど)見方は歴然とあるし、自分だって好きなマンガをコラージュしてライブのチラシ作ったりしてるのはそういうこと(コラージュされる絵と実際に鳴らされる音の違和感を楽しんでる)なのかもしれない。でも、でも、じゃあ、じゃあ、ステージ映えのしないおれたちに何が出来るかっていうと音に物語を託すしかないんじゃないの。フェンダーのアンプからジャーンと鳴ったコードに含まれる情報とか、コンプ掛かったスネアの音に含まれる情報とか、そんな、記号として分化される以前の、意味の一歩手前のかけらを拾い集めて、好きなもの何から何までいっしょくたに音盤に詰め込めたら最高だと思う。異なる時系列の矛盾なき共存。そんなんがやりたい。
フェイスブック、わからん。在学中には恐らく喋ったことのない人からも申請が来ることに驚いた。そういうもんなんやな、とは思うものの、自分の発言がトモダチのメイン(?)のページに表示されるんかどうかとか、よく分からんから申請はおろか未だに何も書けてない。けど驚くほどみんな手を出してた。キミもか!基本的にはイケてることを載せてくっていうノリなんかなあ。自分も何らかの形でイケてみたい。
先週、7年くらい使ってたノートパソコンが遂に壊れて、貧乏性かつ貧乏な自分にはありえんような迅速さで新しいやつをポチっとやってしまった(無論月賦で)。今日は朝からそれのあれこれで夕方まで掛かってしまってからのバイト。
気がかりなのは4年位前に買ってノートに入れてたDAWソフトのオーソライズがうまいこといくんかどうか。初回登録の時は海外のサイトをたらい回しにされた記憶がある。これが出来んとまたDAWソフト買わされるはめになる。ちょうどバンドで録音をしようとしてて、きっと練習場所とアパートをデータが行ったり来たりすることになるから、厄介なトラブルはごめんだよー。
録音について。
月曜の練習で、マイク何本か立てて録ってみましょって感じで、録音してみた。敢えて単純に自覚的に、いわゆるバンドのデモ音源とかにありがちな、ライブそのまま再現って感じの演奏を録った。オケの一発録りというやつ。歌ってないと演奏に余裕が出るし、オンマイクで録音された自分のギターの音が結構気持ち良くて嬉しくなったりした。当初の目的は、誰かに配るための音源を作ることだったから、このやり方でもええかなとは思うけど、やっぱりライブそのまま再現の演奏を録音するのは良くないのかも。
ライブでの音楽は、目の前で人間が演ってる分、良くも悪くも「音」以外の要素の補正を受けるように思う。良いほうに転ぶと、バンドの雰囲気とか饒舌なMCとか舞台上のアクションで駄曲もアンセムっぽくなったりする。悪い方はというと、そっちも同様に、属人的要素とか視覚情報が音楽的評価に還元されて、音楽が耳を素通りしちゃったりする。音以外の要素から音楽を評価する(ロックは生き方やろ、とか。きらいやけど)見方は歴然とあるし、自分だって好きなマンガをコラージュしてライブのチラシ作ったりしてるのはそういうこと(コラージュされる絵と実際に鳴らされる音の違和感を楽しんでる)なのかもしれない。でも、でも、じゃあ、じゃあ、ステージ映えのしないおれたちに何が出来るかっていうと音に物語を託すしかないんじゃないの。フェンダーのアンプからジャーンと鳴ったコードに含まれる情報とか、コンプ掛かったスネアの音に含まれる情報とか、そんな、記号として分化される以前の、意味の一歩手前のかけらを拾い集めて、好きなもの何から何までいっしょくたに音盤に詰め込めたら最高だと思う。異なる時系列の矛盾なき共存。そんなんがやりたい。
フェイスブック、わからん。在学中には恐らく喋ったことのない人からも申請が来ることに驚いた。そういうもんなんやな、とは思うものの、自分の発言がトモダチのメイン(?)のページに表示されるんかどうかとか、よく分からんから申請はおろか未だに何も書けてない。けど驚くほどみんな手を出してた。キミもか!基本的にはイケてることを載せてくっていうノリなんかなあ。自分も何らかの形でイケてみたい。
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