2012年2月9日木曜日

届かない手紙(糞)

ゆうべは相変わらず掴み所のない演奏やった。

去年の5月に今のバンドで初めて演奏して以来、何回ぐらい演奏したんやろ。ライブってのがいつまでたってもよく分からんまま。

出番は大抵平日のトップバッター。おおむね客ではなく対バンの人たち(の内、客席で観てくれる奇特な2~3人)を前に演奏する。平日19時のライブハウスはすごいぜぇ。緊張とかライトの眩しさなんかでステージからの客席は真っ暗に見えるけど、ほんまに暗闇に歌ってるだけの気分が残って終わる。他者不在。

ほんとに知名度のない我々ぐらいのバンドって、恐らくメールアドレスを知ってるくらいの親密圏内の人たちを呼び寄せて客席の賑やかしに(そしてノルマの足しに)するんやろな、ってのは何となく理解している。(同時に、それらの集客はそのまま入場料とか飲食代としてライブハウスの収入源に直結してるってことも。)とはいえ、毎度毎度友人知人恋人親戚etc...を誘うって妙な話と思わんかね?おれは思う。
もちろん、バンドの友人であることと、そのバンドを観たい気持とが矛盾なく共存するケースはあるし、ひと月に何回以上誘ったらおかしい!とか線引きは出来へん。友達が別の友達を誘って、とかで広がる輪もあるんやと思う。
過去出演したライブハウスで演奏後に店長やブッキングの人から「ちゃんとお客さん呼んで」って旨の話、耳の痛くなるほど聞いたし、ライブハウスを取り巻く状況も考えたらその通りなんです。が。
敢えて「バンドワゴン」って映画の台詞を借りるなら、「おれは誰も知らないし誰もおれを知らない」のです。ああ!

観客あっての音楽やとつくづく思う。

不躾ですが全ての文化生産物は「糞(くそ)」と断言出来ます。ところで、糞を糞たらしめるあのウンコ臭、糞が肛門から排便され空気に触れて初めてあの臭いを放つ、という話は非常に示唆に富んでると思う。体内にいくら糞を溜め込もうとも、外にも出ず臭いも放たない糞は、糞であって糞でない。糞は糞して糞になるんです。

音楽だって誰かに聴かれなくちゃ、レコードはただの塩化ビニール、MP3はただのデータ、まして楽譜やメモ帳の上で音楽は鳴らない。今まではメモ帳に詞を書いたり、スタジオでメンバーと音を出したり、自分の内側で糞を生成すればそれで全然音楽やれてるんやと思ってた。けどそれは他者不在の独白、ずっと届かない手紙やった、というお話でした。

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