2012年2月14日火曜日

土曜日と日曜日

通夜と葬式に参列してきた。自分にとっての葬儀。
参列者の喪服姿やお坊さんの読経、拙すぎる自分の焼香など、あの場所でとり行われた故人への行為全てが大きな空洞に向けられているような感覚がずっとあった。最後のお別れが出来たとか、自分の中でひとつの区切りが付いたとか、そんな風にはどうしても思えない。故人への想いや別れ惜しさをいたずらに強調したいが為の表現ではなく、自分にとってのおじさんは、自分が訃報を受けた瞬間に死んでしまったのであり、それ以来続く圧倒的に確からしい不在の感は、誰かとおじさんの話をしたり、遺影を見る度に空しい気持を伴って強調されこそすれ、弱まることはなかった。自分にとって、病室でおじさんと交わした「じゃあまた」という挨拶が最後の別れだったのだ、とやはり思う。生前の思い出をいくら語れても、誰かの死そのものを語る言葉は全然見つからないと知った。

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