ゆうべは3ヶ月ぶりにファンダンゴで演奏した。
もう阪急乗るぐらいのところから風が気持ちいい日だったし、改札抜けたときの十三の町の顔もすごい良かった。ようこそ!って言われた感じがした。はよ着いて楽器置いて喫茶店行って折り込みのビラを描いて、ってだけでもめちゃんこ楽しい。知らん町に好みの感じの喫茶店があると、たとえば心がざわついていてもコーヒー一杯で落ち着けるから本当に善い。「好きな感じの喫茶店」のぼんやりとした統一性と、コーヒーっていう飲み物の同一性とを媒介にして、自分がいちばん平和に過ごした時間とすぐに繋がる。昨日みたいに最初っから気分の良い日は、ただただ最高。
ファンダンゴはフェンダーのアンプがあって、エフェクター持ってない自分には嬉しい。アン直で素敵な音が出るし、それはつまりギターケースだけ持っていけば大丈夫ということ。でもリハーサルは相変わらず難しい。コンクリ打ちっぱなしで音が回るんだそうな。前回同様ボーカルと歌詞を最優先で!ってな感じでアンプの出音は控えめ、PAさんにもお願いしたんやけど、やはり初見の人には歌詞までは聴こえ辛かったみたい。後で分かったこと。
演奏自体は、これで箸にも棒にも掛からないなら致し方なし、って演奏が出来たと思う。いや、相変わらずカラオケみたいな歌声やしライブ全体の運び方とか喋りとかは全然芋やけど。観てる人を困った気分にさせるような失敗はなかったと思う。我々の普段からの練習あっての演奏ではあるんやけど、実は家出て会場着くまでの天気とか、喫茶店で飲んだコーヒーとか、出番前に共演者の人と交わした何気ない言葉とか、そういう当日の些細な出来事も多分に影響してるってやっぱり思う。自分たちのひとつ前の出番だった弾き語りの人が素晴らしく良くて、心の戸を全開にしてくれた。全部分かった上で、それでもなお全力でやるってことが大事やねんってところをばっちり受け取って、自分たちの出番に臨んだ。あんな風に直前の出演者の人の演奏に即時的に影響されて、それが自分の演奏に反映されるっていうのはライブハウスならではと思う。終演後見ず知らずのお客さんたちからもらった好意的な感想は本当に嬉しい。
自分たちの次の出番の弾き語りの人も素晴らしくて、最後の最後、店閉めますんで~って時にちゃんと感想を伝えられてよかった。やはり歌と言葉は強い。
中学からの同級生で高校時代一緒にバンドやってた友達が、超多忙だというのに偶然暇ってことで観にきてくれて、久々のお喋りもめちゃ楽しかった。おまけにバンド友達も連れて来てくれて、嬉しくなってみんなにビール奢ってしまった。終演後も色んな町でバンドやってる色んな人たちの話が繋がっていって、すごい素敵な時間だった。
で、そんな楽しいお喋りのひとときにフェイスブックの話になって、今さっきバイト先のパソコンでアカウント取った次第。軽い気持で手を出したら、10年以上振りに見かける顔ぶれがヒットしまくって、にわかに汗ばんでしまった。向いてないかもしれない。
2012年5月12日土曜日
2012年5月8日火曜日
ひっくり返せる、を見るということ
昼勤が増えてぜんぜん書けていない昨今。
「場所」は残ったし、権力者の愚かな決定は人々にひっくり返された。4月23日は最高の夜だった。この世界を取り巻くありとあらゆる決定、常日頃から自分を規制し、ともすれば被抑圧の自覚さえも起こらない決定決定決定決定。そんな馬鹿げた決定のひとつを下した(「この場所の取り壊しを決定しました」って言ってきた)やつらの目の前で、馬鹿げてる、おかしい、取り下げろ、って人々の声が飛び交うってことの圧倒的な当たり前さ!自分はというと、持ち前の引っ込み思案を活かして会場後方で9時間ずっと腕組みしてただけやけども、もう心の中では「そのとーり!」ってずっと絶叫してた。誰にも見えないところで決定は決定されて、それに異議申し立てする有効な手段なんて無いって思い込んでしまうような、あべこべの世界に暮らしてる自分にはこんなに当たり前のことが凄いことに思えてしまう。あの夜に立ち会ったことは自分の中に生き続けるやろうし、この世界のあべこべにちゃんと「いやや」って思えると思う。思い出せ。これがほんまやろ、このやり方がいいんやって昔っから分かってたやろ、思い出せ、って。
その時の実況まとめ。これをじっくり読むよりも、やっぱりあの場に居合わせた方がガツンと身体にくると思う。ひっくり返せる、を見るということ。
じゃあ、食堂でお祭り騒ぎをやろうってことになり、5月4日、5日、6日とライブとか演劇とか壁面のペイントとか、美味いご飯とか、お祭り騒ぎをやった。全部の原発が止まったっていう流れとも合流して、わいわいした良い3日間だった。
個人的にも、バンドの鍵盤奏者が参加できなくなってしまって急遽3人組で出演したり、PAのことをちょっと教えてもらって恐る恐る卓を触ったりと、ドタバタしつつも、ちゃんと成立してそこに立ち現われた「祭」に、やっぱりすげぇなぁ、と思ったりした。4月の終わり頃には、どうなることやら全然わからんかったのに。
今朝自宅のパソコンが大変な感じになってた。数年前から画面の最前面にカラフルなストライプ出て綺麗な~とか思ってたけど、今朝立ち上げたら左半分が深緑に塗り潰されちゃってた。どうしよう。
「場所」は残ったし、権力者の愚かな決定は人々にひっくり返された。4月23日は最高の夜だった。この世界を取り巻くありとあらゆる決定、常日頃から自分を規制し、ともすれば被抑圧の自覚さえも起こらない決定決定決定決定。そんな馬鹿げた決定のひとつを下した(「この場所の取り壊しを決定しました」って言ってきた)やつらの目の前で、馬鹿げてる、おかしい、取り下げろ、って人々の声が飛び交うってことの圧倒的な当たり前さ!自分はというと、持ち前の引っ込み思案を活かして会場後方で9時間ずっと腕組みしてただけやけども、もう心の中では「そのとーり!」ってずっと絶叫してた。誰にも見えないところで決定は決定されて、それに異議申し立てする有効な手段なんて無いって思い込んでしまうような、あべこべの世界に暮らしてる自分にはこんなに当たり前のことが凄いことに思えてしまう。あの夜に立ち会ったことは自分の中に生き続けるやろうし、この世界のあべこべにちゃんと「いやや」って思えると思う。思い出せ。これがほんまやろ、このやり方がいいんやって昔っから分かってたやろ、思い出せ、って。
その時の実況まとめ。これをじっくり読むよりも、やっぱりあの場に居合わせた方がガツンと身体にくると思う。ひっくり返せる、を見るということ。
じゃあ、食堂でお祭り騒ぎをやろうってことになり、5月4日、5日、6日とライブとか演劇とか壁面のペイントとか、美味いご飯とか、お祭り騒ぎをやった。全部の原発が止まったっていう流れとも合流して、わいわいした良い3日間だった。
個人的にも、バンドの鍵盤奏者が参加できなくなってしまって急遽3人組で出演したり、PAのことをちょっと教えてもらって恐る恐る卓を触ったりと、ドタバタしつつも、ちゃんと成立してそこに立ち現われた「祭」に、やっぱりすげぇなぁ、と思ったりした。4月の終わり頃には、どうなることやら全然わからんかったのに。
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| スタートメニューにブラインドで辿り着けるのでしょうか |
2012年4月26日木曜日
人間はモノフォニックなんですか?
忙しくって何も書けんやないか。何のためのバイトやねん
書きたいこと書かなきゃならんことが起こったのに。また今度書こっと。
今日思ったことの中から書くに値しそうなこと
「頭の中で和音を鳴らすことは可能なんか?」
「ジャーン」とか、擬音でそれっぽくしているものの、実は単音しか鳴ってないんじゃないのか。少なくとも自分は単音しか鳴っていない。付随するコード感は全部「想像」の産物。
さらに言うと恐らく人間の口はモノフォニックだ。知る限りホーミーってやつでしか和音は鳴らせない。ホーミーも和音というより基音と倍音っぽい音を継続して鳴らすのみで、和音を歌うって感じには程遠い。
つまり、なんらかの曲を頭の中で想起する(鳴らす)とき、元の曲が何和音であれ、どんなアンサンブルであれ、全てが単音に還元されて鳴るってことにならんか。お気に入りの曲でやってみよう…
メロディ、ギター、ドラム、キーボードの旋律、次々にその時々で一番象徴的な音が前面に浮上してくる。間違いなく原曲があの曲だとわかる。でも、でも、頭の中で鳴っているのは常に単音。
単音でしか音を鳴らせない、単音でしか音を想起出来ない人間が、和音(あるいは同時に発音された複数の音)を聴くことで心に興るもの、とは。もしや音楽の根源的な秘密に辿り着いてしまったんじゃないのか。 良いところでタイムオーバー。
書きたいこと書かなきゃならんことが起こったのに。また今度書こっと。
今日思ったことの中から書くに値しそうなこと
「頭の中で和音を鳴らすことは可能なんか?」
「ジャーン」とか、擬音でそれっぽくしているものの、実は単音しか鳴ってないんじゃないのか。少なくとも自分は単音しか鳴っていない。付随するコード感は全部「想像」の産物。
さらに言うと恐らく人間の口はモノフォニックだ。知る限りホーミーってやつでしか和音は鳴らせない。ホーミーも和音というより基音と倍音っぽい音を継続して鳴らすのみで、和音を歌うって感じには程遠い。
つまり、なんらかの曲を頭の中で想起する(鳴らす)とき、元の曲が何和音であれ、どんなアンサンブルであれ、全てが単音に還元されて鳴るってことにならんか。お気に入りの曲でやってみよう…
メロディ、ギター、ドラム、キーボードの旋律、次々にその時々で一番象徴的な音が前面に浮上してくる。間違いなく原曲があの曲だとわかる。でも、でも、頭の中で鳴っているのは常に単音。
単音でしか音を鳴らせない、単音でしか音を想起出来ない人間が、和音(あるいは同時に発音された複数の音)を聴くことで心に興るもの、とは。もしや音楽の根源的な秘密に辿り着いてしまったんじゃないのか。 良いところでタイムオーバー。
2012年4月23日月曜日
第二回作曲家クラブ
昨日は第二回作曲家クラブ品評会だった。前日の夜中までどうなることやら全くわからんかったけど、集合時間に1時間遅刻してギリギリ間に合った。くわばらくわばら
記憶の確かなうちに作曲~録音にまつわるメモを残しとこうと思う。
先週金曜夜に書いた前回の日記の時点で、コード循環とメロディが浮かんで、それに引っぱられて歌詞のイメージを掴んだっていうところやった。今思うと全体の2%ぐらいの進度やんか。で、金曜深夜帰宅後すぐ歌詞や展開をちょっとだけ考えて、まあいいやと寝る。
土曜は昼前に起きてまずスタジオ個人練習予約。今回はアパートでぼそぼそ歌うんじゃなく、スタジオで(あるいはカラオケボックスで)歌の吹き込みをしようと前々から考えていた。ノートパソコンやオーディオインターフェイス、録音機材類を自宅外に持ち出して録音する経験もしてみたかったし。夕方は空きがなくて結局21時-23時を予約。
21時までになんとか大体の歌詞と曲の展開をでっちあげてスタジオへ。
まずは1トラック目に仮ギターを録音する。歌を録音する時に、イヤホンから仮ギターを流して、それに合わせて歌うから。ボーカルのソースが欲しいだけなので手短に済ます。
歌を録る。
DAW上での波形編集じゃなく、実際に2回歌ってダブリングにするつもりなので、平歌もコーラスも全部2トラック分歌う。ここ何時間かで作ったばかりやから、日本語のアクセントに対応する微妙なメロディの差異に苦労しまくる。しかも依然として3行分くらい歌詞に穴があって、その部分の歌は録音していない。
とりあえずドラムを録る。
オーディオインターフェイスの同時入力数がたったの2つなので、一本目のマイクをバスドラに突っ込み、二本目をスネアにオンマイクでセッティングする。ミキサー使って2ミックスを流し込む程の気力も技量もないし。ドラムの録音自体はめちゃくちゃ楽しかった。ドンドンタンドカドカドンタン
思いきり23時を回ったので店員さんに24時まで延長する旨を伝え、時間ぎりぎりでなんとか残りの歌詞とその部分の歌の録音を終えて帰宅。
アパートで夜中に出来ること、って考えると、スタジオで録った波形の編集だとか、エレキベース、エレキギターのライン録りくらいしかやれることがない。ドラムがあんな録り方やったのに結構カッコ良く聴こえる。なんだかんだで朝7時までかかってようやく寝る。
朝は10時に起きる。集合時間は13時。
もう陽も昇ってるので、マラカス、カウベル、ボンゴ、 ギロと、持ってる楽器を総動員してブガルーになれ!なれ!と祈りながら録る。間奏とかアウトロ寂しい、と思ってギリギリに適当な鍵盤を入れようと思い、一時間遅刻する。
で、出来たのがこの曲。相変わらずスパムサイトからしかアクセスがないのでちっとも恥ずかしくない。
今回もまるで違う3曲が集まってめちゃくちゃおもろかった。みんなの思考回路の違いが音になってた。ブガルーじゃないじゃん、とつっこまれつつも、誰かがスマップみたいやな、と言ってたのが一番嬉しかったなぁ。言いたくないことやりたくないこと何一つやらず好きなことやってスマップならほんま最高って感じ。歌のバックグラウンドは90年代と多摩あたり。ビール飲んでたらおれに会ったよ、という歌。
記憶の確かなうちに作曲~録音にまつわるメモを残しとこうと思う。
先週金曜夜に書いた前回の日記の時点で、コード循環とメロディが浮かんで、それに引っぱられて歌詞のイメージを掴んだっていうところやった。今思うと全体の2%ぐらいの進度やんか。で、金曜深夜帰宅後すぐ歌詞や展開をちょっとだけ考えて、まあいいやと寝る。
土曜は昼前に起きてまずスタジオ個人練習予約。今回はアパートでぼそぼそ歌うんじゃなく、スタジオで(あるいはカラオケボックスで)歌の吹き込みをしようと前々から考えていた。ノートパソコンやオーディオインターフェイス、録音機材類を自宅外に持ち出して録音する経験もしてみたかったし。夕方は空きがなくて結局21時-23時を予約。
21時までになんとか大体の歌詞と曲の展開をでっちあげてスタジオへ。
まずは1トラック目に仮ギターを録音する。歌を録音する時に、イヤホンから仮ギターを流して、それに合わせて歌うから。ボーカルのソースが欲しいだけなので手短に済ます。
歌を録る。
DAW上での波形編集じゃなく、実際に2回歌ってダブリングにするつもりなので、平歌もコーラスも全部2トラック分歌う。ここ何時間かで作ったばかりやから、日本語のアクセントに対応する微妙なメロディの差異に苦労しまくる。しかも依然として3行分くらい歌詞に穴があって、その部分の歌は録音していない。
とりあえずドラムを録る。
オーディオインターフェイスの同時入力数がたったの2つなので、一本目のマイクをバスドラに突っ込み、二本目をスネアにオンマイクでセッティングする。ミキサー使って2ミックスを流し込む程の気力も技量もないし。ドラムの録音自体はめちゃくちゃ楽しかった。ドンドンタンドカドカドンタン
思いきり23時を回ったので店員さんに24時まで延長する旨を伝え、時間ぎりぎりでなんとか残りの歌詞とその部分の歌の録音を終えて帰宅。
アパートで夜中に出来ること、って考えると、スタジオで録った波形の編集だとか、エレキベース、エレキギターのライン録りくらいしかやれることがない。ドラムがあんな録り方やったのに結構カッコ良く聴こえる。なんだかんだで朝7時までかかってようやく寝る。
朝は10時に起きる。集合時間は13時。
もう陽も昇ってるので、マラカス、カウベル、ボンゴ、 ギロと、持ってる楽器を総動員してブガルーになれ!なれ!と祈りながら録る。間奏とかアウトロ寂しい、と思ってギリギリに適当な鍵盤を入れようと思い、一時間遅刻する。
で、出来たのがこの曲。相変わらずスパムサイトからしかアクセスがないのでちっとも恥ずかしくない。
今回もまるで違う3曲が集まってめちゃくちゃおもろかった。みんなの思考回路の違いが音になってた。ブガルーじゃないじゃん、とつっこまれつつも、誰かがスマップみたいやな、と言ってたのが一番嬉しかったなぁ。言いたくないことやりたくないこと何一つやらず好きなことやってスマップならほんま最高って感じ。歌のバックグラウンドは90年代と多摩あたり。ビール飲んでたらおれに会ったよ、という歌。
2012年4月20日金曜日
第二回作曲家クラブ迫る
次の日曜日すなわち明後日、作曲家クラブ第二回品評会がある。今回のお題はブガルーだった。
第一回品評会の時に今回のお題が発表された直後、ジェットセットでブガルーのレコード買ったりして、今回からは時間かけてちゃんとやるつもりやったのに結局この体たらく。レコードだけは買ったけど。聴いてたけど。曲作ってへんがな。今日夜中までバイトやがな。
参考資料はこのレコード。初めてこの享楽的なレコード聴いた時から、曲名は「YOPA-RATTA」にするって決めてる。酔ぱらった。でもそっから何一つ思案を巡らせぬまま今日まで来てしまった。少なくともこのアルバムにおける「ブガルー」は、ギロだとか、主に名前もわからぬラテン打楽器といったリズム隊に定義されているんかな~、とぼんやり感じていたので、とりあえず曲と歌詞からやっつけねばならぬ、と今日のお昼に決意。後手後手だァ
ギターを持ってあれこれ考えてたけど、スリーコード、ブルース進行でええんか?それで満足か?っていう欲をかいてしまい、とっかかりのコード循環がブガルーから遠ざかってしまった。
ⅣM7→Ⅲm7→Ⅵm→Ⅰ7って感じのやつ。書き方合ってるのかわからんけど、ドリカムの「決戦は金曜日」とかで循環してる例の進行。普段は全く縁が無い。しかしながら窮地に立たされた今日、ギターを触ってたらこれが出てきた、ってことは、そういうことなんだろう。と思い込み、これで行くことにする。
さて、どんな曲に?とりあえず「酔ぱらった」という享楽性は残したい。ビールビール!発泡酒発泡酒!と志すものの、コード循環がメロウ過ぎて徐々に切なさを帯びてきた。やばい。二兎を追ってニワトリ捕まえてしまうあの感じや。でもそれって曲作りの醍醐味やと思う。ギターとか言葉に引っぱられて、作り初めには予想もしなかったような所に連れて行かれる感じ。それを歌い手のキャラクターや音楽ジャンルに合わないとかで排除してしまうのは本当は不幸なことなんじゃないの。それだって間違いなく自分の蓄積から出てきたものなんやしね。この企画、作曲家クラブでの自分は恥も外聞もないから、やっちまうのだ。
と、いうわけで、児童公園でビール飲んでたらおれに会ったよ、という風な曲のゲシュタルトが朧気に浮かんできたのが16時くらい。どうなることやら。ベティにご飯あげたり部屋の片付けしてたらバイトの時間。
第一回品評会の時に今回のお題が発表された直後、ジェットセットでブガルーのレコード買ったりして、今回からは時間かけてちゃんとやるつもりやったのに結局この体たらく。レコードだけは買ったけど。聴いてたけど。曲作ってへんがな。今日夜中までバイトやがな。
参考資料はこのレコード。初めてこの享楽的なレコード聴いた時から、曲名は「YOPA-RATTA」にするって決めてる。酔ぱらった。でもそっから何一つ思案を巡らせぬまま今日まで来てしまった。少なくともこのアルバムにおける「ブガルー」は、ギロだとか、主に名前もわからぬラテン打楽器といったリズム隊に定義されているんかな~、とぼんやり感じていたので、とりあえず曲と歌詞からやっつけねばならぬ、と今日のお昼に決意。後手後手だァ
ギターを持ってあれこれ考えてたけど、スリーコード、ブルース進行でええんか?それで満足か?っていう欲をかいてしまい、とっかかりのコード循環がブガルーから遠ざかってしまった。
ⅣM7→Ⅲm7→Ⅵm→Ⅰ7って感じのやつ。書き方合ってるのかわからんけど、ドリカムの「決戦は金曜日」とかで循環してる例の進行。普段は全く縁が無い。しかしながら窮地に立たされた今日、ギターを触ってたらこれが出てきた、ってことは、そういうことなんだろう。と思い込み、これで行くことにする。
さて、どんな曲に?とりあえず「酔ぱらった」という享楽性は残したい。ビールビール!発泡酒発泡酒!と志すものの、コード循環がメロウ過ぎて徐々に切なさを帯びてきた。やばい。二兎を追ってニワトリ捕まえてしまうあの感じや。でもそれって曲作りの醍醐味やと思う。ギターとか言葉に引っぱられて、作り初めには予想もしなかったような所に連れて行かれる感じ。それを歌い手のキャラクターや音楽ジャンルに合わないとかで排除してしまうのは本当は不幸なことなんじゃないの。それだって間違いなく自分の蓄積から出てきたものなんやしね。この企画、作曲家クラブでの自分は恥も外聞もないから、やっちまうのだ。
と、いうわけで、児童公園でビール飲んでたらおれに会ったよ、という風な曲のゲシュタルトが朧気に浮かんできたのが16時くらい。どうなることやら。ベティにご飯あげたり部屋の片付けしてたらバイトの時間。
ママチャリ改造(パート1.5)
細かい変更も書いていこう。
早く替えを見つけないと近々ベロンといきそうやったカゴ【写真1】、良いのが見つかった。町の自転車屋に行っても気に入る感じのが全然ないので、ヤフオクを探してみると300円で出てた。だっさい新品のカゴが大体2000円くらいって考えると送料500円掛かってもまだ安い。ミヤタの80年代?頃のやつ【写真2】。いつ使うのか、ガルウイングみたいにカゴが開く【写真3】。かっこいいわ。
ただ、カゴの深さが若干浅くなったから、元の22インチのカゴ足ではカゴに届かず、近所の自転車屋さんで恐らく24インチ用のカゴ足【写真4】を買うことになってしまった。1000円。かっこええから全然大丈夫。以前のカゴよりもワイヤーも太くなって、たゆみも少ない。ギター載っけても全然へこたれそうにない。
もっと些細なことも。
両足スタンドのバネを失くしてしまってた。大したことちゃうやろ~って思うけど、バネなしでスタンドを立てようとすると、最初に足で「ガチャン」とする部分(名前わからん)が、勝手にスタンドをロックする方に入ってしまい、片足だけでスタンドを立てるのが困難になってしまって、駐輪場などで毎回ほんの少し不快な思いをする。ホームセンターの自転車パーツ売り場で、両足スタンド用交換バネとして198円で売ってたので買って付けた【写真5】。バネが強力過ぎて装着にめちゃくちゃ苦労したけど、やっぱ随分違う。ワンアクションスタンド。
で、ダイアコンペ製のメタルリンクブレーキ、デュアルピボットブレーキが届いた【写真6】。
こちらもヤフオクで、同一出品者だったから送料込みで3500円。自転車屋さん見つけるたびに聞いて回ってたけど、どこにも置いてなかったし、定価よりか安く買えたしまあいいや。はやく取り付けたい。
早く替えを見つけないと近々ベロンといきそうやったカゴ【写真1】、良いのが見つかった。町の自転車屋に行っても気に入る感じのが全然ないので、ヤフオクを探してみると300円で出てた。だっさい新品のカゴが大体2000円くらいって考えると送料500円掛かってもまだ安い。ミヤタの80年代?頃のやつ【写真2】。いつ使うのか、ガルウイングみたいにカゴが開く【写真3】。かっこいいわ。
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| 【写真1】 |
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| 【写真2】 |
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| 【写真3】 |
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| 【写真4】 |
両足スタンドのバネを失くしてしまってた。大したことちゃうやろ~って思うけど、バネなしでスタンドを立てようとすると、最初に足で「ガチャン」とする部分(名前わからん)が、勝手にスタンドをロックする方に入ってしまい、片足だけでスタンドを立てるのが困難になってしまって、駐輪場などで毎回ほんの少し不快な思いをする。ホームセンターの自転車パーツ売り場で、両足スタンド用交換バネとして198円で売ってたので買って付けた【写真5】。バネが強力過ぎて装着にめちゃくちゃ苦労したけど、やっぱ随分違う。ワンアクションスタンド。
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| 【写真5】 |
こちらもヤフオクで、同一出品者だったから送料込みで3500円。自転車屋さん見つけるたびに聞いて回ってたけど、どこにも置いてなかったし、定価よりか安く買えたしまあいいや。はやく取り付けたい。
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| 【写真6】 |
2012年4月17日火曜日
また何もやらないつもり?
大事な場所が失くなるかもしれない。当事者たちの意思を無視して。今朝、噂レベルじゃなく、ほぼ公式にアナウンスされた一つのニュース。ただその場所を失うかもしれないってことだけじゃなく、この世界を取り巻いてる色んな落胆をひとまとめにプレゼントされたような感じがする。
まず、「場所」それ自体について。
まず、「場所」それ自体について。
もちろんその「場所」はまだ残ってるし、その場所を取り巻く人々が現出させてきた/させる<場>も残ってる。自分はその「場所」のいでたち、外からの見た目に魅了されてその場所に近寄っていって、次第に当事者のひとりとなった。それくらい、その「場所」そのものへの愛着はある。でも、きっと「場所」はただの入れ物に過ぎない。むしろ、これまでその場所をその「場所」たらしめた、人々や人々の営みのあり方といった「中身」=<場>が残るかってところが肝だと思う。<場>が途切れさえしなければ「場所」はつくれる。いまある「場所」だって、「○○のための場所」として用意され与えられたものではなかった。人々に語らいや思いつきや閃きをもたらした<場>の存在が、いまある「場所」の場所性・唯一性・代替不可能性を、長い長い時間の中でつくり上げてきたのだ。でもやっぱり、そんな<場>を醸成する入れ物としての「場所」に、物理的、空間的、時間的な断絶が与える影響がどれほどのものなのか、全然想像出来ない。
「決定」のあり方について。
今朝の知らせにはもっと嫌なとこがあった。その場所のあり方について、これまでずーっと、当事者と権力側との間に話し合いが持たれてきた。当事者、権力側双方が納得合意の上で従うべき大原則として、話し合いの原則があったから。でも、今朝の知らせには、権力側の話し合いの拒否、物理的暴力装置を用いた強制排除の意向が記されていた。もしその通りになってしまったら、これまで面倒臭さや非合理性に手を焼きながらもなんとかやってきた(直接)民主主義に最低最悪の汚点を作るんじゃないのか。
「自分の意思を無視して下された決定に、結局は従わされる」という決定のプロセス、この世界に生まれて以来、徹底的に叩き込まれ、常日頃「しょうがない」と納得し、それが不正だという感情さえ発露することなく、とっくに諦めてしまっている。「選挙で選ばれた為政者によるものだから仕方ない、民主主義ですもん」みたいな論理によって正当化され、ため息ついて終わり。
一握りの権力者に不都合な不平不満を黙らせるためのロジックとしてしか民主主義は機能してないんじゃない?彼らに拳銃や暴力を預けてしまったこととか、誰かに票を投じて多数決で問題ナシ、みたいな民主主義のあり方って、常に猛省が必要なくらい合理最優先で大雑把な仕組みやったんやと思う。
そんな世界で毎日暮らしながら、ふとあの「場所」の空気を吸うたび、ハッとしてピリッとする。本当に最後の砦だとか思えてくる。あの「場所」が失くなってしまったら、<場>が損なわれてしまったら、目先の暮らしに精一杯な自分は、そのピリッとする感じを忘れてしまうんじゃないか、と思う。自分の中にある民主主義の理想はそれくらい脆い。
最後に自分のはなし。
こういうでっかい不正に対峙したとき、自分はどうすればいいのか。ほんまに諦めっぱなし、不戦敗だらけの世界に慣らされ過ぎて、体なんか全く動かない。豚ってこういうことか。原発の時もそう。いつだってそう。なんか、その場しのぎのガス抜き方法を上手に見つけてしまって、怒りも悲しみも漂白されてどんどん役立たずになっていく。今回の件が当事者性も含めて、自分にとって大きな出来事になるのは間違いないと思う。権力による愚かな「決定」や「宣言」が、民意によってひっくり返るってところをこの目で見たいし、この手に掴んでみたい。
一握りの権力者に不都合な不平不満を黙らせるためのロジックとしてしか民主主義は機能してないんじゃない?彼らに拳銃や暴力を預けてしまったこととか、誰かに票を投じて多数決で問題ナシ、みたいな民主主義のあり方って、常に猛省が必要なくらい合理最優先で大雑把な仕組みやったんやと思う。
そんな世界で毎日暮らしながら、ふとあの「場所」の空気を吸うたび、ハッとしてピリッとする。本当に最後の砦だとか思えてくる。あの「場所」が失くなってしまったら、<場>が損なわれてしまったら、目先の暮らしに精一杯な自分は、そのピリッとする感じを忘れてしまうんじゃないか、と思う。自分の中にある民主主義の理想はそれくらい脆い。
最後に自分のはなし。
こういうでっかい不正に対峙したとき、自分はどうすればいいのか。ほんまに諦めっぱなし、不戦敗だらけの世界に慣らされ過ぎて、体なんか全く動かない。豚ってこういうことか。原発の時もそう。いつだってそう。なんか、その場しのぎのガス抜き方法を上手に見つけてしまって、怒りも悲しみも漂白されてどんどん役立たずになっていく。今回の件が当事者性も含めて、自分にとって大きな出来事になるのは間違いないと思う。権力による愚かな「決定」や「宣言」が、民意によってひっくり返るってところをこの目で見たいし、この手に掴んでみたい。
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