2012年4月5日木曜日

祭のあと(パート3)

三連勤三日目。祭の終りの終り
朝一度目覚めるも、弁当用にこんがり焼けたポークピッツを2本つまみ食いしたとかしてないとかで人間関係が崩壊しかける。二度寝(不貞寝)により13時起床。

ふくふく膨らむコーヒー豆とおっちゃんの話し方が非常に好きで家から全然近くもないのに毎度毎度コーヒー豆を買っている中立売のミリオンコーヒーで豆を買う。この前の日曜日、演奏前の自分が酒飲まんために無料(カンパ)で出してたコーヒーもばっちり売り切れましたよ(カンパ箱開けたら4000円以上入ってたのだ)とおっちゃんに伝える。はるばる和歌山から来てくれた友達も美味しかったと言ってくれた。そのまま知人の引越しを手伝いに出町柳に行く。でか過ぎて階段も曲がれないCD棚を、面倒臭さからバラさずにマンション3階からビニールひもで吊るして下ろすというウルトラCを3回こなして殆どの作業を終わらせる。荷物を運び込んだ柳荘は、磨かれた木の廊下と白くて冷たい壁が素敵なアパート。ちょい早めに終わったからマクドナルドで月見バーガー買って御所で食べて、三条のビッグボスで弦買って、神泉苑御池のチロルで今日一杯目のコーヒー飲んで、バイト。春風にあたって気が晴れる。

「1984」、ゆうべ寝る前にようやく読み終わった。
布団入って半分白目で読んでたので折角の結末がよくわからない。早く解説を読みたい。
愛情省からの長期的暴力により、真実がひっくり返された後の「真実’」を次第に受け入れる主人公。でも、「受け入れる」意識のあるうちは、まだ彼の内に「真実」も同時に憶えている。それゆえ、党から「最も厄介な人間」とされた主人公は、遂に思考犯の誰もが恐れる「101号室」に連行され、彼が最も恐れる鼠を使った拷問に掛けられる。そこで彼の内に最後の最後まで残った「真実」であるところの恋人、ジュリアを自分の身代わりに拷問に掛けろと叫び、(たぶん)すべての「真実」が「真実’」に変換されたところで物語は途切れてエピローグへ。主人公はテレスクリーンを恐れる様子も無くカフェにてチェスを打つ、といった具合。合ってるのか?

印象的なのはやっぱり「二重思考」。「この世界が何で出来ているか」に直結してる気がする。かねがね思ってた「天動説≒地動説」説がそのまんま登場した。天動説も地動説も、例えば「天文学」という狭い場においての言説であり、空が回ろうが地球が回ろうが、アパートの屋上から星を眺める自分にとってまるで無関係だってことが別の言い方で同じように話されていた。いま問われて「地球が回ってる」と答えるのは、絶え間ない刷り込みあってのこと。一貫した刷り込みがあったから(そしてそれを疑う必要がなかったから)こそ、逡巡のない返答が可能なのだ。じゃあ同様のことがイデオロギーにも起こり得るなら?それは主人公が不断の暴力の末に体得した自発的服従だろう。主人公の場合、イデオロギーの転覆が一身の人生の内に起こってしまった為、自発的服従に至るまでにあれだけの暴力が必要となったのだ。自分の場合には自発的な服従すら必要ない。例えば今ある正しさを正しいと言うことがそのまま服従になってしまうのだから。ネガフィルムで世界を見るような楽しみが詰まった小説だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿