2012年3月1日木曜日

サッチ・ア・ナイト

きのう、拾得で演奏した夜はとてもいい夜だった。
自分ひとりが寄与したなんてわけでもなく、自分以外の人から単に与えられただけでもなく、あの場所の全部がその夜を作っていたように思う。お客さんの入り自体は満員とは程遠い、火曜日って感じの集客だったけど、すごくステキなお客さんたちだと思った。もちろんこれだって単にその人の属人的な要素だけじゃなくて、それぞれの出演者の演奏や拾得の美味しい料理や雰囲気とか、色んなあれこれがお客さんたちを素敵にしてしまったんやと思う。自分たちがお客さんを呼べなかったことが本当に残念に思える夜。

特に最後、三番手のリー・ルードさんの演奏を客席で観ながら、自分たちが出演した夜がこういう結末を迎えられたということや、歌の持つ一番幸福な瞬間を見てるんちゃうか、とか思って、ほろっとくる瞬間が何度かあった(そういう意図の歌や演奏ではなかったかもしれないけど)。
リー・ルードさんの歌はきっとこれからも聴くことができる、おまけにゆうべは風邪まで引いてはった。歌や演奏自体は、もしかしたら今後どこかで聴くときの方がバッチリなのかもしれない。でも、何度目かのアンコールに応えたリー・ルードさんの「年に数回あるかないかの夜です」っていう言葉に象徴されるように、出演者の演奏や、お客さんの心意気、拾得っていう場所性なんかがリーさんの歌を媒介に交差した貴重な時間だったと思う。これがライブだよ、と思った。

あと、個人的に嬉しかったこと。
何度でも言いいたいが自分は曲作りが致命的に遅い。中学生時分からの代謝不全。
8年前、大学進学と同時に京都へ来て、キークスという軽音サークルの人たちと結成した、烏合の衆というバンドで京大軽音のイベントにお邪魔して、西部講堂のイベントに出演、3曲だけ演奏させてもらったことがあった。その時の1曲はゆうべも演奏した42号線の原型となった曲で、Bメロが加わったことを除いて、最初期とおんなじイメージで相変わらず演奏し続けている(キリッ)。
そんな42号線という曲、今やっているバンドのひとつ前のバンドでも当然の如く演奏していたんやけど、西部講堂から5年近く経った3年前、西院ウーララでの演奏時、共演者に西部講堂での演奏を覚えている人がいた。「あの時西部でこの曲やってへんかった?覚えてるで~」って。ほんまにびっくりして嬉しくてたまらんかったです。
ほんでそこからさらに3年の月日が流れた2012年2月28日、ゆうべの拾得のお客さんの中にその人が居た。3度目の邂逅。終演後、同じ調子で声を掛けてもらい、色んな感想を聞かせてくれた。3年前と同じように驚いて喜んで、同時に京都すごいなぁ、とか思ったりした。その人は8年前も自身のバンドで西部に出演した際に自分たちを見てくれていて、3年前も偶然に共演、ゆうべはリー・ルードさんのお客さん(且つ、バンドのメンバー)として観に来てはったんやけど、こうしてちゃんと再会出来て言葉を交わせるなんて。なんて夜だことよ。

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