2012年3月22日木曜日

京都の大学生

昨日は卒業式だった。
朧げな記憶辿って学生だった頃を振り返るの巻

なんでこの町にいるのかと思い起こせば、高校生の頃に偶然聴いてしまった村八分、ちぇるしいといった京都生まれの日本語歌唱ロックンロールにすっかりやられてしまったから。さらには騒音寺や初期ははの気まぐれ、首狩族、ドクロズ、ニプリッツとか、自分が高校生だった2002~03年頃活動してた同時代のバンドに、60年代から脈々と続く「京都」っていう土地性(あくまで自分の中での「京都」)が反映されてるような予感がして、とにかく京都ならどこでもいい、って京都の私大に進学した。いま思えば、そんな予感は半分当たって半分外れたけど、くそアホの16~17歳が嗅ぎつけた曖昧な予感の半分が当たってたってだけで十分。ほんまに半分は当たってた。

そんな甘い予感に誘われて引っ越してきた2004年の京都、進学した私大のどこを探しても「京都」は無いように思えた。あらら?とか思いながら夜中に自転車で京都じゅうの路地を走り回ったり、喫茶店にぼんやり座ってみたり、かすかな残り香を探して西部講堂を覗きに行ったり、遊びに行った吉田寮祭では今に繋がる小さな出会いがあったり。でも、日々行き来する自分の大学は、不自然に美化された隙間のない空間でめちゃくちゃ居心地が悪く(建築物は無言にして人を排除出来る)、ほとんど友達もおらず学業にまるで関心のなかった当時の自分は大学に用も無く、次第にまったく行かなくなってしまった。高校の頃の同級生と大阪でバンドを始めたこともあって、平日京都でバイトして週末は大阪で練習して帰ってくる、みたいな暮らしをずっと続けていた。この真空状態の数年間、一人きりで考えたことや読んだ本、聴いたレコードでずいぶん人間変わってしまった様に思う。変わってしまったと同時に、かつての自分がどんな奴だったかをちゃんと覚えてる。それは今も自分の中に居て、まるで理解できない他者と触れ合う時とか、排除や差別の何たるかを考える時とか、色んな場面に現れては「お前もや」と言ってくる。

辞めたろと思ってサボり続けてた大学にもう一回ちゃんと行こうと思ったのは、偶然か、何となく読んでたつもりの本の何冊かが、ぴたりと社会学とリンクし始めたからで、親に平謝りしてごねまくって学籍を残してもらった。この時すでに4回生の終わり。卒業(就職)の為に単位集めるって感じじゃなく、社会学(的なものの見方)への興味から通い始めたので、授業はほんとに面白かった。残り半分の予感が当たってた、というのもここらへんからの話。

だがしかし今日のバイトは案外忙しかったのでもう時間がない。もう書けない。

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